これ・・・日本語の時は、when(ほとんどの場合)いらないんじゃないだろうか?という仮説
*マニアックすぎるので、なんのこっちゃらわからなかったら、すみません。ここに書いておくのが一番バラバラにならないので。今日の話も、日常使い、ビジネス使いには関係ないです。セッションやコーチングの文脈でメタファーを扱いたい場合にのみ関係すると思われます。*
・・・という仮説。
これも、そのうちちゃんとまとめますが、(そして、英語でも書いて確認してもらいますが)とりあえず、ここに記録しておこう。
日本語ではwhenは(ほとんどの場合)いらないんじゃないだろうか?・・・という仮説というか、実際、自分は割とそうしていることが多いと気がついた。
日本語でクリーンな質問を使う時、whenを省略していること。
特に、話が、メタファーランドスケープに入ったあと。
まだ、コンセプト(概念)で話をしている時は、大してどっちでもいいかもしれない。
メタファーランドスケープに入ったあと、「時」という言葉は、別の意味を持つ。
時そのものが、メタファーだからだ。
私があんまりwhenを使わなくなった理由は、whenがあってもなくても、クライアントの答えにあんまり違いがなかったからだ。
むしろ、「・・・時」とつぶやくクライアントを何度かみたことがあったからだ。
(げ、「時」という単語が耳に残ってる・・・と思った。それは、クライアントが自分が引っ張り出したメタファーではない。こっちが言ったことだ。こっちが言ったことが耳に残っている・・・つまり、それは、おっとまずい、介入してるなと思った。)
同時に、自分自身が得たフィードバックの中には入っていたことはないが、「時」がしつこくてうるさいという感想を、私がみたことがあったからだ。
私が気にしているのは、いつでも、それを使う人の意見ではなく、それを使われた人の感想だ。当たり前だが、使う人のために質問はあるのではなく、それを聞くひとのために、質問はあると思うからだ。ひたすら、観察のみだ。
(whenが耳のこりしたのは、音の関係だと思う。「TOKI」の発音の仕方で、おそらくは、そこが強く発音されていたのだろう。そして、「時」は、メタファーなので、強く発音されたことで、その「時」がクライアントのメタファーランドスケープに介入してしまったのではないか?と推測している。andとwhenは登場回数がダントツに多いので、一度気になり出したら、クライアント側はもう気になって仕方ないだろう。)
whenは(ほとんどの場合)いらないかもしれない、と、私が思った根拠はいくつかある。
”クリーンな質問の構文(シンタックス)の中における、whenの役割は、「時を止める」こと。一枚の写真とか、一本のビデオクリップのように。時には、数枚の写真や、何本かのビデオクリップのように。(参照:'Metaphor in Mind,p.60,James Lawley&Penny Tompkins)”
英語は、話者の視点が動かない言語だ。(神の目線と言ったりもします。)
だから、話者の視点を動かす必要がある。
whenは、その前に話していたことを一枚の写真みたいに納めてしまって、その写真の中のある部分に焦点を当てる役割を果たす。
日本語は、話者の視点は動く。
'when'がもたらすスナップショット効果は、日本語には元々備わっていて、日本語ネイティブは自然にやっている。
過去の話をする時には、特に自然にやっている。
時制の一致をしないことで。
物については、割とそうしている。
「昨日、お湯がポットに沸いてるのをみて、しまった〜!もう少し後で沸かせばよかった!と思いました。」
お湯がポットに沸いている、は、現在形。
ここは、お湯がポットに沸いてい「た」でもいいけど、ほとんどの場合、沸いているのをみて、と、過去に視点を戻して話していることの方が多いと思う。特に、日本語しか話さない人の場合は。それでOKだから、日本語は。日本語に時制の一致は必要ない。
しまった〜!〜!、と、思いました、は、過去形で、これは、今から過去を眺めている。
一つの場面を話すのに、いったん過去に視点を戻して、それから、現在から過去の自分を眺めるという、行ったり来たりなことを日本語話者はやってのける。
「お湯がポットに沸いている場面」は、すでに、一枚の写真のようであり、そこに、「しまった〜!と思いました」という過去の自分がいる。
この場合、「しまった〜!」から後を取り上げるならば、「しまった〜!」を今に引っ張ってくる必要があるので、whenは必要になるかもしれないが、もしも、取り上げるものが、「お湯がポットに沸いている」方なのであれば、すでに、「今ここに」「一枚の写真として」その場面は提供されているわけで、わざわざwhenをつける必要はないかもしれない。
話は、メタファーランドスケープの話だ。
そして、もう一つの根拠は、Less is More. (少ない方が、より多くの効果を得られる的な感じのこと)
デイビッド・グローブが、クリーンな質問を組み立てていった時にした作業は、「不要なものを果てしなく省く作業」だ。
最初は、もっとたくさんの質問があったと聞いている。
そこから、デイビッド・グローブは、質問を絞りに絞った。
動詞はbe動詞だけに。
こちらから提案するメタファーは、時と空間というユニバーサルメタファーだけに。(when,where,whereaboutなど)
時間の動きもシンプルに。前と後ろだけ。(before,after)
「どう訳せばいいのか?」ばかりに目が言っていたけれど、日本語でならば必要ない要素もあるかもしれないということに、私は、数年経った今、初めて頭がいった。
必要なのは、「機能、作用、効果」。そして、日本語として自然な響き。
これだけだ。
日本語でならば、時を止めるのは、言葉ではなく、間の方が、効果が高いのではないだろうか?と私は思った。(既にたまにやっている、同じようにしている人がいるのも知っている。)
そして/それで/そうすると、[クライアントの言葉]
そして(間)、[クライアントの言葉]、(間)、
[クリーンな質問]?
日本語話者ならば、自動的に、[クライアントの言葉]のところは、その言葉のある「時」に、自分を勝手に動かすはずだ。日本語の視点は、動くのだから。
・・・・けど、これには、問題が一つある、と私は思った。
これさ、多分、セッションとかカウンセリングとかコーチングとかの経験がない初心者の人は、難しいで、と。「〜時」という方が、よほど簡単である。
そして、私は、よし!これについては、引き続き検討しよう!もうどれだけ時間がかかっても同じこと!と決めたのだった。
とりあえず、日常で使う時の方が、話が簡単なので、そっちやろう、そっちと。
(加えて、この話は確実に、英語でレポートをまとめて、アドバイスをもらう必要があり、そこには、言語学的な参考資料も必要なはずであり、時間がいっぱいかかるから!という現実的なこと。)
それで、ブログに書いておくことにした。
試してみたい人は、自己責任で試してみてください。
先ほど書いた3シンタックスは、私は実際に使っています。
おそらくは、質問対象がメタファーまたはシンボルの場合は、ほとんどの場合、when「〜時」を使うより、自然で、同じ効果が得られると思います。
そして、場がホールドしやすいはず・・・。
ただし、尋ねる対象が、まだシンボルになっておらず、クライアントの知覚(形容詞、形容名詞、や動詞など)の時は、その知覚を今に引っ張りたいので、「〜時」を入れた方がいいと思います。
もしくは、状況によっては、フルシンタックスではなく、2シンタックスでいくか。
そして、〜、(間)
クリーンな質問?
または、急いでその知覚を捕まえたいなら、1シンタックス。
そして、クリーンな質問?
色々、やり方はあると思います。
以下、個人のつぶやき。
まあ、このブログには、私はクリーンランゲージ&シンボリック・モデリングin日本語についての、オフィシャルな見解は一切書いていませんけども。
(ある程度、まとまった見解は、別のところに、もう少しわかりやすく書いています。ここは、自分が考えてる頭の中を公開しているだけ。)
2,1シンタックスの時は、そもそも、「〜時」は関係ない時もあるので、「and」ほどは、全体には関わらないかもしれないけれど。「when」が確実に登場するフルシンタックスを使う場所、つまり、丁寧にさらっておきたい、または、クライアントがバラバラに置いてるものを、一つの時と空間にまとめたいポイントにいる時なわけで、やっぱり、軽く扱うわけにもいかないんだよなあ・・・・という感じなのでした。
それにしても、ほんま面白い!
そして、まだまだ時間がかかる!(笑)
そして、日本語における、「間(ま)」の優秀なこと!
時「間」
空「間」
時と空は、同じ「間」というもの。
time and spaceには、かぶる言葉はないけれど、時間と空間は、同じ文字が使われている。
日本語での時と空には、何か共通する要素があるんだろうな。
間(ま)は、日本語のリソースだなあ。。。