魂がお友達

 魂がお友達。

そんな感覚になる人に、たまに出会うことがある。


私の魂は、だいぶと年寄りなんじゃないかと思うのは、そういう人は高齢者なことが多いからだ。


本当は、もっと前に生まれてくるつもりだったんじゃないか?と、感じる時がある。

ちなみに、キリスト教には生まれ変わりの概念はない。


ないけど、なんか、そんな気がすることがある。



私の魂のお友達は、そういうわけで、みな、私より早く死んでしまう。

お友達であり、師であり。


私は、その人たちの晩年に、駆け込みで間に合ったみたいな感じのことが多い。



そして、私は、何かを託されたような気持ちになる。


そして、だんだんと、適当に生きられなくなっていく。

その人達が、その人生の中で、大事にしてきたこと、この世をよりよくしようと頑張った話を、私が聞いてしまったからだ。


それは、紛れもなく、この世に対する愛で、私が生きる限り、その人たちの愛は、私の中にある。


だから、どうか安心してください。


あなたの愛は、残るから。

ちゃんと、私の中に、残るから。


あなたの姿が見えなくなっても、あなたの愛は、この世にちゃんと残るから。



いつか、また、別の場所で会える日を、その日、あなたと別れてから起きた笑える話をたくさん持って、あなたを訪ねる日を、私は今から楽しみにしています。



あなたに出会えた幸運に、感謝します。


あなたの神さまと、私の神さまは違う名前だけれど、私は、あなたがちゃんとあなたが望む場所に、守られてたどり着けるよう、私の神さまにもお願いしておきます。


だから、安心してください。


いつかまた、虹の光の中で会いましょう。

それまでは、一緒に楽しく笑いましょう。



あなたと過ごす時間が、私は大好きです。