楽しいと楽しいの共鳴

 私は何かを探している。

何か言葉を探している、と、気がつきました。


自分が同じテーマについてばかり、書いているからです。


クリーンランゲージですね。


そしてこれは、おそらく、昨年末にはじめた自分と自分のセッションの続きの作業だろうと、私はあたりをつけました。



そしてそれから、年の初めに、父と交わした会話を思い出しました。

その時、私は、80才に近い父がタバコを吸いにいくのについていきました。

私の実家は禁煙で、父はタバコを吸う時には、歩いて5分の川まで行きます。


タバコを吸う父は、その日、何度目かの同じ質問を私にしました。

「だんなはまだ単身赴任か?」


その日、私の夫は、私と一緒に実家を訪ねており、少し前に、父は夫自身にも、同じことを尋ねていました。


「そうだよ」と、私は答え、そこから父は自分の仕事について語り始めました。


昨年の10月まで、父は現役サラリーマンでした。

18歳の時に入社した会社に通っていました。


父が、家族に自分の仕事について語ることはなく、家族は、なぜ彼が80歳近くまで雇用されていたかを、彼が会社を退職した日に持ち帰ってきた2枚の賞状の内容から知りました。

そしておそらくは、これが理由だろうと推測しました。



それは2001年に父がもらったらしい賞状でした。

父らしく、その賞状は、二つに折り畳まれていました。

彼は、名誉や権威にこだわりません。

意味がないと言っています。


私も似たようなところがあります。

正確には、私には名誉や権威の意味がわからないのです。

いったいそれは何の役に立つのだろう?と。

これは、脳みその関係だと思います。

おそらくは父もそうでしょう。



父は、会社を辞めた後、時々、自分の仕事について語るようになりました。

そして、私は、父が何を仕事にしてきたかを知るようになりました。


「自分は開発をしていた」と、父は言いました。



川べりにいたその日も、父は、「開発は楽しかった」と、若々しいしっかりした口調で言いました。

表情も若々しく、三十代くらいの父に見えました。



その場面を思い出した後、私は、自分がクリーンランゲージを好きなもう一つの理由に気づきました。


「実験」です。

実験的姿勢を、クリーンランゲージの世界は評価します。

開発者その人自身が、実験ばかりしていた人だったからです。



そしてそれから、私が探しているものは、「日本人の感覚でわかりやすい説明」「日本社会でクリーンランゲージが役立つと推測される場面や環境」、「日本語への応用」だと気がつきました。


それらを現す言葉を探していると。

技法そのものはそのままに、ただ、説明と応用を探している。


英語をそのまま日本語に訳した時、伝えきれないものがある。

意訳はできるだけ少なくしたい。

なぜなら、それは、元の言葉を書いた人の世界観に介入することになるから。


だから、入れるなら翻訳者注釈だ、と、自分が考えていることも自覚しました。


そしてもう一つ、はじめから日本語で書く、または、日本語にする前提で英語で書く説明を探しているのだと。


なぜならば、私の先生は、全員、英語しか読めません。

しばらくは、最初は、英語で書いたものをチェックしてもらうしかないのです。

これはもう仕方がありません。

選択肢がないのですから。



そして、私がそれらをしたい理由は、昨年末に、先生の1人とした小一時間の会話の中で、明らかになりました。


「だって、英語と日本語を比べるのは楽しいから。私は、2つを並べて違いを見るのが楽しいんです。」


「だから、今気づきましたけど、私は日本語に翻訳するためだけに、英語のクリーンランゲージを理解したいわけじゃないんです。私は、英語でも、クリーンランゲージをちゃんと理解したいんです。そうしないと、比べられないから。

それで私は、英語を超絶高速で上達したいんです。早く比べて、楽しみたいから。」


私の口はそう言いました。


だって楽しいでしょ、という自分の言葉を聞いた時、私は、すっきりしました。

自分の昨年一年の、もっというと、ここ数年の行動が理解できたからです。



私にとっては、遊びだ、遊び。

翻訳作業は遊び。

言葉遊び。

実験。



そう、はっきり理解したからです。

だからこんなに夢中になっていると。


それがたまたま、人の役に立つ。

たまたま。



いわば私がしたいことは、遊び仲間を増やすようなこと。

言葉は使う人数が多いほど、力を増します。


同じ言葉を話す仲間を増やしたい。

なぜならば!日本語の方が自分が楽だからだ!と、私は気がつきました。


この自己中な考えに至り、私は、すっきりしました。


私は、自分が、できた人的な発言をする時はいつでも、自分を胡散臭く感じます。

その奥にある自己中が姿を表すと安心します(笑)



父が言った「楽しい」に、私の「楽しい」が共鳴し、今と過去、未来の理解に繋がりました。


私が好きなのは、こういうこと。



楽しい、ただ、それだけがいつでも自分を動かすな、よくも悪くもと、自分の姿を確認したのでした。