話の主体は、誰?
自分のことを考える。
その時、主語はなんでしょう?
はい、正解です。
「私」です。
私は、または、私がから始まる文章で物を考えている時、その人は自分のことを考えています。
これが苦手な人が割といるのは、私は、職業柄、存じ上げています。
自分のことを話しに来られる場所に私はいますが、それでもそこに、「私」が登場しないことは珍しくありません。
30分以上、「私」以外の誰かが主語の話が続くことはザラです。
人間関係の話の時は特に多いです。
そういう時、クリーンランゲージに出会う前の私が提案していたのは、「今から、全て、主語を私にして話をしてください」というワークでした。
嘘みたいな話ですが、頭の中がこんがらがっている人が、数十分、「私」を主語に話すだけで、頭はすっきりしたりするのです。
これを通して私が気づいたこと。
考えていなかったので答えがわからなかっただけで、考えさえすればそれですむ話は実にいっぱいあるということ。
ただ、何かを考える時の主語が「私」以外の誰かだったために、自分を見失うことがあること。
言葉の力とは偉大です。
これは、セッションの中で、「私」を言わない人の話がややこしいことが多いことに気がついて、試しに始めてみたら効果があったことなので、特に技法というわけではありません。
ワークの目的は、主体を明らかにし、人生の主体は自分だと感じてもらうことです。
そして、他者を主語に語る時、その人は自分について考えてはいない、だから、話がこんがらがるということに気づいてもらうためです。
今でもこれをたまにやりますが、今は、違うやり方をしていることが多いです。
今は、「あなたは、何が起きればいいですか(でしょう)?」と尋ねることが多いです。
こちらから質問で、主体(私)に意識を向けるように促します。
話のはじまりは、あなた自身ですよ、と。
そこから始まる世界では、私、を表す主語のバリエーションはうんと広がります。
私は、「私」を主語に、自分を主体として話をするのが苦手な人には、私以外の言葉で表される私の話をしてもらう方が楽なようだと気がつきました。
その世界にいる私は、空、車、船、木、家、マグカップ、水、雲といったような物質の名前で表されます。
そして、空の話をしたり、木の話をしたりします。
自分の話じゃないじゃないか?
いいえ。
これらはメタファー(喩え)ですが、それらは必ず、その人自身から生まれていますから、全ては違う言葉でいい表されているその人自身の一部です。
けれど、自分じゃない別の生き物みたいな感覚がするので、主体的に話をしているのだけれども、そうしている感じがしないのが、メタファー達のいいところです。
話が軽くできる。
「私」について考えるのが難しい人にも、楽に話をさせることができる。
興味深いなと思ったのは、そうやって、何回か、クリーンランゲージでメタファーを使って話をした後に、たまに起きる出来事です。
「私」を全く言わなかった人が、次のセッションでは、「私」から話を始めるようになることです。
これは、自分については、主語を省略しても会話が成立するネイティブ日本語ユーザーに独特なクリーンランゲージの効果かもしれません。
主体の明確化の促進。
自我の育成の促進。
自立促進。
そんな感じの効果が、日本語でのクリーンな質問にはあるような感じがしています。
「あなたは、何が起きればいいのでしょう?」
もしも日常で、周りに主語を全く使わない人がいて、この質問を使ってみるなら、あなたの部分は、名前に変えてもいけます。日常でなら、その方がいいかもしれません。
普段、あなたはってあんまり言われないんじゃないかと思うので。
違和感あると、ん?となります。
その地方で使われている方言を使ってください。
オフィシャルな場と、セッションやコーチングの時は、標準語には、非日常を生み出すというメリットがあります。質問者側が、それを違和感なく話せるならば。
日常でならば、違和感しか生まないと思います。
ポイントは、優しい声で軽く問いかけること。
赤ちゃんに語りかけるくらいのつもりで。
そして、これが大事です。
返ってくる答えは、「質問したあなたが理解できる答えでなくていい」、と、尋ねる人がはっきり理解しておくことです。
答えない自由もあります。
あなたが望む答えがほしい時には、この質問は使えません。
「何でもいいよ、あなたが考えてることを教えて」という時にだけ、この質問は使えます。
そのあと、メタファーまで話を持っていくには別のことが必要ですが、日常でそこまで必要なことはないかと思われますので、質問のあとは、普通に会話すればいいかと思います。
誰の話をしてんの?と、話が迷子になりがちな時は、お試しを。
自分に問いかけるのも、結構、効果あります。