SNSに書かなかったこと

 

少し前から、自分自身、なんでこんなことしてんやろう?と思う行動を、自分が取り始めた。


私が自分が行動する理由を把握していないことは多々あるが、それはダントツになんでや?と、首を傾げたくなる行動だった。

セッションについて、それを仕事にする時のことを、クローズドではあったけれどSNSに書き倒したのだ。


私は正直、あほなんちゃうかと自分のことを思った。

お金が取れる話を、無料で出しまくったことに。



今朝、私は、自分が自分に教えるために、自分はその行動を取ったと理解した。



話は12年前に遡る。


会社を辞めて、生活費につまるのが見えたので、手っ取り早くお金を作るために、アルバイトでセッションをはじめた私の目の前に座った2人の人。


私には、なんの覚悟もない。


その2人は、仕事と人生の両方に行き詰まっていた。

人生は面白いなと思うのだが、うまくいかない時はいろいろなことが重なる。


私は、それぞれに現れた2人を前に、はっきり言って怯えていた。

とんでもない恐怖がそこにあった。


私には、なんの覚悟もできていなかった。

プロ意識のかけらもなかった。

あるわけない。



どうしてもっと軽い話の人が来ないんだ、と、私は思った。

あるだろう、彼氏とうまくいくにはとか、親ともめてますみたいな相談。

そういうのに当たりたいと、私は思った。


私が怯えたのは、人の人生の重さだった。

自分の発言や振る舞いに、他人の人生が影響を受けるかもしれないことに、私は怯えた。


私は逃げたくなったが、お金をもらってしまってる、と諦めた。


それから3年。

2人は、まだ時々、私に連絡してきた。

2人はよく頑張って、仕事も人生もうまくいきはじめていた。


それから5年。

そのうちの1人は、外国へ行った。


それから1年。

しばらく連絡がなかったもう1人が、いきなり連絡してきた。

クライアントさんは用がすめば連絡してこなくなるものだから、それで大丈夫なのだが、連絡先を変えていた私を探しに探したとその人は言い、セッションを予約してきた。


セッションの当日、その人は「幸せになりました」と私に伝えたかったから、私を探したと言って泣いた。

私たちは抱き合った。

よかったねえ、と、私は言った。

(多分、どこかで書いた。)



その後、その人は、年一回、お誕生日のメールセッションを申し込んでくるようになり、今、私は、毎年、お誕生日おめでとうと伝えている。


私は、2人の人を思い出した後、自分が自分に伝えようとしたことに気がついた。


自信がついたのだと。

時が経ってみなければ、自分のセッションに効果があったかどうかはわからない。


私は、今でも、セッションは怖い。

人の人生の重さは、怖い。


逃げ出したいことは、何度もあった。

お金に困らなくなった後は、さらにあった。

なんせ、私には使命感がない。

そして、私の代わりの人などいくらでもいるのである。


私は専業ではないから、他に稼ぐ方法もあるのであり、いつやめてもよかったのだ。


それでも、私は、やめなかった。

人が来なくなったらやめようと思ったが、人が来なくならなかったからだ。


そして、怖いと同時に、人間が面白かったからだ。私は人間が好きだ。

人の語るものがたりが好きだ。

一生懸命生きてるのを見ると、愛おしさが止まらなくなる。


結局、ここでもまた、面白いとか好きが、怖いに勝ったわけである。


好きから逃げる方法はないんだねと、私は、また悟った。



そしてそれから、私は、自分が SNSには書かなかったけれど、実は一番書きたかったのはこれではないかということに思い当たった。


方法として何をやろうが、扱うのは、他人の人生だということ。

それが大前提にあるよと。


私は何にも自信はなかったし、お金だけが目的ではじめた。

なにしろ、しつこいようだが、使命感などないのである。


それでも3年で半分が消え、5年で8割が消えると言われる業界に、12年経った今日もまだいる。


集客活動にも力を入れてこなかった。

(他にも仕事があったから)

ほとんどこのブログだけだ。


それでも、私が残れた理由があるとするなら、それは。


人の人生を扱う怖さを忘れなかったこと、そして、人間が好きなこと、この2つではないかと思う。


この人間には、自分も含む。

自分を好きなこと、他人を好きなこと。

自分の人生を愛していること、他人の人生を尊重できること。



自分より能力的に優れていて、集客にも熱心だった人たちがたくさんいた。

それでも、その人たちの多くも消えていった。


なぜ、自分は残れたかに気がついた。

私は、人間が好きだからだとはっきり気がついた。


そして、好きな気持ちの強さに、自信を持つことにした。


私、人間が好きだ。