言葉が体を動かす時と動かさないとき

 

感謝、使命感、志、信仰、情熱、希望、妬み、憎しみ、恨み、悲しみ、恐怖、それから他にはないかしら?

あった。思いやり。共感。

他にもまだたくさんありそうな気がするけど、ひとまず。

漢字二文字の単語にたくさんありそうだ。

感の文字が入ってる単語とか。


集めてみたのは、体の感覚を生み出すことができる思考を表す単語。

感情を伴うともいう。

内側から生みだされ、体に感覚を作り、感情を生むこともでき、そして体を動かす。


必ずしも感覚が生まれるわけではなくて、感情(心)という思考だけが存在する場合もある。

感情も生み出されてなくて、思考だけの場合もある。


また、言葉にすれば、何かの単語になるが、感覚だけが生まれてて、その感覚が体を動かすこともある。

また、感覚すらなく、言葉にもなっていないが、それがある場合がある。


一番弱いのは、言葉だけのとき。

体は動かないから、自分からは何も変えられない。

体をコントロールする力が、言葉にない。


一番強いのは、言葉にも感覚にもなっていないもの。

体の動きを支配する。

感覚がなければ行動につながらないというわけでもないことを、それは示している。

ただ、もしもそれが問題を含んでいた場合は、言葉も感覚もないからその存在がわからないので、まずは、言語化する必要がある。

感覚が作れたらさらにベター。解決しやすい。



さて。


ちょっと整理しよう。


結局、シンプルに、言葉と感覚の組み合わせだけが、私の体(私の行動)を支配してるんじゃないの?と、この一週間のあれこれで、頭がまとまってきたからだ。


どういう時、自分の言葉(思考)や感覚は自分を動かし、どういう時は動かさないのか。


整理してみよう。



ちなみに、今日のこの日記を書くのに影響したのはこの文章。


「風向きを気にすれば種は蒔けない。 雲行きを気にすれば刈り入れはできない。」

‭‭コヘレトの言葉‬ ‭11:4‬ ‭


これに共感し、だよねと、私は思考の種を蒔いてみた。

言葉と感覚と行動の関係性。


もしかして、意識、潜在意識の話は、言葉、感覚、行動という一般用語で話は簡単にまとめられるのではないか?と思ったからだ。