今日は朝から気分がいい。理由はGod bless you
昨日の続きみたいな感じ。
あ!そうか!と、私は気づいた。
God bless youだ!と思ったのだ。
命におめでとう、それは、私なりのGod bless youだと。
神の祝福がありますように。
あなたに祝福がありますように。
私がそもそも入りたかったキリスト教のある宗派は、日本には教会がなかった。
カトリックとプロテスタントの間みたいな宗派。
北米では一大勢力だ。
同じ系統の宗派は日本にもあるが、ノリが大分と違う。
北米のその教会はだいぶリベラルで、日本のは保守。
私は、その宗派の英語のサイトや、その宗派がオンラインで公開している礼拝に、去年、礼拝がなかった時期に参加していた。
ともかくジーザスのように行動しなさいというその教会の教えは、やることリストが全て動詞だった。
社会の中に出て行きなさい。
そして、社会の中で行動しなさい。
ジーザスのように。
そのやることリストの中に、Blessという項目があった。
毎日、毎日、考えなさい。
今日はどのように、自分は他人を祝福することができるか。
自分なりに、毎日毎日、他人を祝福しなさい、と。
その時から、神の祝福ってなんやろねと私は考えはじめた。
宗教なんで、話は魂であるが、祝福されてない魂が存在するとは私には思えず、だから、わざわざ、魂を祝福する必要はないと思えた。
ほっときゃ、神さまが勝手にやるだろう。
それに、魂ごとは、世に存在する神さま専売特許であると思われた。
なんのことを祝福と表現しているのだろうね?と、私は思った。
昨日ブログを書いて、あ、こりゃ、あれは、本当に特別な一枚だと、私は気がついた。
普段、自分からのメッセージをカードにこめることはしない。
カードは、勝手にできあがる。
変な言い方だが、そうなのだ。
自分たちで考えてすらない。
私たちがしているのは、やってみることであって、私たちは考えてはいない。
言葉を選ぶことはするが、それは、単に枚数合わせのためである。
あの一枚は、それもまた浮かんだのだけれど、おめでとうは私からだ。
そして、私は、ああそうかと気がついたのだ。
あなたが生きていることそのものに価値があるんだよ、命におめでとう!、そして、私はそれが嬉しいんです!、それが、祝福だ、と。
うむ、これは公平だと私は思った。
生きている人はみな命を持つ。
だから、神さまに祝福されてない人はいないということになる。
そして、また、あ!と、私は思った。
ああ、そうか。
神さまの祝福がありますように、じゃない。
God bless youをそのまま訳すなら、神さまはあなたを祝福してるよ、だ。
今から祝福されるんじゃない。
あなた、祝福されてますよと、お知らせするんだと。
クリスチャンであろうがなかろうが。
全ての命は神さまからは祝福されてる、そういうことかと、私は思った。
おめでとう!だね。
なるほど〜。
それにしても、相変わらず、やった後にしか答えを教えんな。笑
ともかく、ああ自分なりの言葉になった、ひとつ、自分なりに理解できた!と、私は嬉しくなった。
God bless you.