根深い話

根深い話というのはあるもので。

また同時に、向こうが追いかけてくる話というのもあるもので。


ほっといてくれればそれで、根を考える必要もないし、ご機嫌にやっていける話。

本人は、新しいステージや世界の中にいて、普段はその中にいるけれど、追いかけてくるものがあると、根が消えておらず、そこにそのままあることに気づくというか。


親子関係の話なんかでもあるかもしれない。

他者やシチュエーションが絡む話。



私に繰り返し起きているのは、あることで、自分は自由にやりたいのに、みんなで協調してやろうと巻き込まれそうになる話。


めんどくさい、それぞれ切磋琢磨すれば、それでいいじゃないかと思う自分がいる。

同時に、根深い話が体の中でざわつく。


この根深いのは、過去に受けた傷だ。

私は相当頑張ったが、深いところについた傷はしつこい。


普段はどうもないから、ほっておける。

ほっといてもらえるのが一番いいのだが、なかなか、世はそうでもない。

傷を知る人々が、なんとかしようと動くからだ。



本人は、その傷を知らない人しかいない世界で、新しい景色を見ようとし始めている。

自力で空を飛ぼうと、コツコツ努力しようとしている。

そして、それを楽しみにしている。


それがおそらくは、一番、早いからだ。


他者との協調が早い場合と、ひとりで自由にやるのが早い場合と、物事には両方ある。

チームプレーと個人プレーには、どちらもの良さがある。


そして今、私に期待する人たちは、明らかに、私が自由にやった時に起きることを期待している。


私はそちらの期待に応えたいんだなと思ったりする。



どちらにしても、根がまたしても、じくじくしてるので、私はまたこれをやらねばならないが(笑)、なんとラッキー。


今日は礼拝の日である。


2時間後には、癒しスーパースターが、私を叱るか、癒すか、なんだかして、多分、表面的にはすっきりしていることだろう。


そしてまた、私は、根を抱えたまま進むのだ。

根が関係しなくなるのは、私が空を飛ぶ日だ。


空には木が生えてないから、根っこもないのでね。

その時、はじめて、乗り越えられる。


もはやこれは、私ひとりの話。


そういう類の話もある。