育ててもらう

 

育てていただく。

育ててもらう。


社会人になってすぐ、私は、ホテルと結婚式場、それぞれ1軒、合計2軒の営業担当になった。

私は、その会社で関西発の社員になり、先輩はたくさんいたが、他の人は皆アルバイトだったので、自ずとそうなった。


社員教育のシステムなど、もちろんない。

3日間だけ、東京本社に研修に行ったが、引っ越しの手伝いをしたことと、飲み会くらいしか記憶にない。


10年以上後に、私の後輩たちが、教育システムについて文句を言い始めた時、そして、自分にその仕事が回ってきた時の感慨深さったらなかった。

彼らは「あるもの」に文句を言っていたからだ。


無いのと、有るもののクオリティについての話は、月とすっぽんである。


あれ、これ、もう書いた?

まあ、いいや。


ともかく、営業担当になった会場には、どちらも、私は学生時代から披露宴の奏者として出入りしていた会場だったから、宴会の人々はある程度は顔見知りだった。


ホテルの方には打ち合わせでも顔を出していたから、営業の人たちも知り合いだった。


はっきり言うて、その会場の人達が、私に営業の基礎を教えてくれた。

Faxの書き方(まだメールはなかった)は、その会場の書き方を見て覚えた。


私の頭の下げ方が悪いと、ホテルの宴会事務所のドアを開けたり閉めたりして、「お世話になります!」、「お先に失礼します!」とパンツの見えそうなミニスカートのスーツを着て、出たり入ったり、繰り返し繰り返しさせられた。


宴会事務所の中は、大爆笑だった。


宴会の課長さん達が可愛がってくれた。

少しお兄さんお姉さんな社員さん達も、怒りつつ指導してくれた。


22歳の話だ。


その後も、一度やめて戻った後も、私は、クライアントの方々に育てていただく感じでずっと過ごした。

自力で成長はしていない。


いつでもそこに、クライアントがいた。


セッションを始めた後もそうだった。

クライアントさん達の反応が最大の師だった。



そして今、また、育てていただく感覚になっている。

今度はファンのみなさまに。


商品の。


人ではなく、商品を育てていただく。



いつでもそこには、他者がいる。

そう思う時、私の肩の力は抜けて、さあ、ご一緒にと思う。


ひとりで頑張らないといけないこともあるが、成長という分野に関しては、私の場合は、必ず、そこに、私の成長を必要とする誰かがいる。


でなければ、私は、めんどくさいので、何にもやらなかっただろう。

多分ね。


私自身の成長そのものは、私には喜びをもたらさず、単にめんどくさい作業だからである。


他者、特に、クライアントの存在がなければ、勉強すらしないに違いない。


してみると、私にとっては、クライアントとかファンは、ある意味、むっちゃ大事な存在だと、ずっと思ってきたのだな。


大事じゃなきゃ、成長しようとはしなかっただろうからねえ。

自己中なんで。


なんだか胸がポカポカした。