何が気に入らんかわかってすっきりした話

 

最近、自分が何が気に入らんのかに気がついた。


気づいたきっかけは、街を掃除しているパチンコやさんの姿を見て。

私は個人的生い立ちの関係で、パチンコは大嫌いで、夫にも最初にやるかやらないかを確認したくらいであるが(やっていたら結婚しなかった)、街を掃除するパチンコやさんにはいつもありがとうと思う。


うちの近所には、お寺さんと教会とパチンコやさんがあるのだが、たまたまかもしれないけれど、私が見る時、街を掃除してるのは、パチンコやさんなのだ。


きっと、お寺さんと教会は、人が見ていない早朝の時間帯に掃除してんだろう(と思いたいが多分してない、自分とこの敷地を掃除してるのは見るから。)


何が清くて、何が清くないのかはもう混沌としたこの世界。



さておき、それを見ていて、私は、それは今までは言葉にならなくて、薄ぼんやりとしていたことが言葉になるのを感じた。

言葉になったらすっきりした。

言葉にならないと、悶々とする。


それは、掃除とは直接関係ないことだった。


私が気に入らんかったのは、敬意の無さだったということがわかった。

全員ではないのだが、クリスチャンの人が、寺、神社という時の。


例えば、会社で、同業他社や取引先の別の会社名をいう時は、会社の後ろにさんをつける。

A(会社名)さん、Bさん。


呼び捨てにする人もいるが、私の経験上は、他の会社を偉そうに呼び捨てにする人は、あまり仕事ができない人のことが多い。


信仰の話になる時、別の信仰は、いわば同業他社だ。

そこには、相手への敬意(リスペクト)があってしかるべきと、自分は考えているのだと、私は気づいた。


お寺さん。

神社さん。


クリスチャンが聖書を重んじるように、お経や祝詞は、それらの信仰には重要なものだ。

他者が重要だと考えるものを、まるで意味がないように、吐いて切り捨てるのが、私には、居心地が悪かったのだと、私は気がついた。


そこにもまた敬意を払うべきだと。

信じる信じないと、敬意を払うのは、別の話だ。


お経にも祝詞にも言葉の意味がある。

聖書と似てるところもあれば、異なる価値観で構成されているところもある。


同じことはひとつ。

人を救いたい、だ。



どういう教育を受ければそうなるのかはわからないが、そういうわけで、その居心地の悪さを感じていたという理由で、私が話をしたいクリスチャンの人はいないわけじゃないが少ない。

同じものを信じるは、私には、つながる理由にはならない。


信仰はそもそも私ひとりの話で、私の現実においては、私が人とつながる理由は、別にある。

現実での人とのつながりは、別に何も信じてなくても、全く問題がない。

それは自由だ。


そして、自由であるということが、私には大きな意味を持つ。

心の中の自由を勝ち取るために、歴史に流れた血の多さといったらもう。



ともあれ何を信じているかより、どのように信じているかの方が、私には重要なのだと気がついた。

他を切り捨てる信じ方は、単に視野が狭くなるだけのように、自分は感じてるんだなと思った。

世の中から豊かさがひとつ消えるような気がするのだと。


それもまたひとつの形であり、本人の自由なのだが、自分は、視野を狭くする信じ方にYesではないのだなと。


もしかしたら、この世に生きづらさを感じていて救いを求めた場合には、視野と人間関係をうんと狭くすることで、人生が豊かになる場合もあるかもしれない。

ただ、自分には、これは当てはまらない。

私の人生は、それをしたら、全ての可能性を失う。



私は、神は全知全能(英語だとオールマイティ。私はこっちの表現の方が好き)でも、信仰もまた他のものと同じように、万能ではないと思っている。


なんでも使い方次第のような気がしている。


信仰は、文明を超え、人間が太古から使えてきた心の使い方のひとつだと思っている。

その効果は割とすごいから、結構おすすめではあるが、これまた他の心の使い方と同じく、目に見えないし、他人に強制されても自分が価値を認めないと効果がないので、私は人には勧めない。


勝手に好きにすればいいと思っている。

自分も勝手に好きにしてるから。



私には、同じ時の長さを超えてきた別の信仰は、やはり敬意を払うに値する。

同じ時の長さを、人を救い続けてきたものとして。


ちなみに、日本においては、24時間365日、門を閉じることなくその境内を開放し、人の願いや心の重荷、そして時には欲を受け止め続け、人に頭を下げさせ、人に祈らせ、人を受け入れ続けてきた神社は、すごいと思ってる。

まるで、それは、聖書の中に書いてある教会みたいだ。

神道はアミニズム(自然崇拝)だし、叩かなくても門は開いてるから、そこは違うけど、在り様が。