ムロツ先生のはなし
小学五年生の頃、女の子をいじめた男の子を殴った私に、「この本を読みなさい」とアウシュビッツで人の身代わりになって死んだ神父さんの本を渡した担任のムロツ先生。
本のタイトルは、優しさと強さと。
今、考えると、それはなんだかパンチの効いた話である。
男の子を殴った女の子に、アウシュビッツのはなし。
(その後私は、ホロコーストを調べ倒し、ホロコーストに詳しい変な小学生になった。)
当時の私には、本の意味も、先生が言いたいこともさっぱりわからなかった。
先生が、男の子を殴ってはいかんと言いたいこと以外は。
そして、殴ってはいかんことくらい私にもわかっていた。
そもそも、私は体が小さかったし、体力もなかった。
遠足のたびに、次の日は疲れて熱を出して休むような子供だった。
小学生の間、背の順は、いつでも前から二番目だった。
男子に立ち向かうには、相当勇気がいった。
先生は、私が本を読むのが好きなことは知っていたから、じっとするのが苦手な女の子に、長い説教をするよりは本の方が効果があると思ったのかもしれない。
読んで自分で考えなさいと。
考えた結果、さっぱりわからなかったわけだが。(今は少しわかるような気がする。)
ムロツ先生は、私を学級代表にしたがった。
何回か呼ばれて、話し合った。
私は、「そんなことをしたら、もう学校にはこ〜へん!」と断固拒否して逃げ回った。
学校代表の何がおもろいんやと、私は思っていた。
友達から浮くじゃないか!と。
テストの点すら考えて、ギリギリの点数に調整していた私の努力を先生はわかってないと、私は思った。
私の環境で、賢く見えて得することなど何もなかったのである。
私はテストはいつでも本気で受けたが、国語以外のテストは、点数当てゲームを本気でやっていた。
随分後に、私は、それを後悔することになる。
仕事で管理職になった時に、ああ、子供の間に練習しておくべきだった、本気で自分の点を稼いだ時に起きることに慣れておくべきだった、逃げられやしなかったのに、と思った。
そして、時々、ムロツ先生を思い出した。
ムロツ先生は本が好きだった。
先生の友達には絵本作家さんもいて、読み聞かせの時間に、その人の絵本を読んでくれた。
たしか、タイトルは、五郎さんのカバンだったと思う。
最近、探してみたが見つからなかった。
すっかりその本のストーリーは忘れてしまったのだが、小学生の私は、その話がいたく気に入った。
そして、作者の人に手紙を書いた。
やがて作者の人から来た返事に、また、私は手紙を書いた。
そうして何通かやりとりをした。
その本は、全てを語っておらず、どうして?それから?と、私の頭の中には好奇心がいっぱいだったのだ。
ムロツ先生のはなし。