怒りと悲しみの昇華方法

怒りの昇華方法。
私の場合。

自分のリソースを使います。

今の私の怒りの解消方法、発散方法は、友情とユーモア(笑い)によってサポートされています。


お手持ちのリソースは各人異なりますので、自分の感情の昇華に使えるリソースは何かな?と探ってみるのもまた面白いです。

私のリソースの使い方は。

まずは、怒りを感じた話をネタに仕上げます。
(この時点で割とましになり始めます。ネタにするためには、客観的視点が必要になるからです。)

そして、友人に、ちょっと聞いてくれ、と連絡します。

そして、一緒に笑ってもらいます。

友人が一緒に怒り出しては、そもそもの怒りから解放されるという目的が達成できないため、この時のポイントは3つ。

1)わかるわ〜!という共感したがる人はその時の相手に選ばないこと
2)ネタをどこまで面白く仕上げられるか
3)自分の話を深刻にとらえず、まあそれはひどいと眉をひそめない人を選ぶこと

この3点です。
ともかく、うけること、ゲラゲラ笑うこと、そちらが目的です。


すると、最後には、腹を立てた相手に感謝の気持ちまで湧くことがあります。
楽しいネタをどうもありがとう、、、と。

幸い、ちょっと聞いて!と言える相手は何人かおり、お互いさまにゲラゲラ笑いながら、聞き合いをしています。


私の場合、怒りの発散には、共感は効力をもちません。
笑いの方が効果的です。
わかるわ〜などと言われると、怒りが強化されます。

でしょ!と。

そりゃひどい、というゲラゲラ笑いの感想は、ありです。
話がうまくできた証拠だからです(笑)


個性によって、共感してもらうことが発散につながる場合もありますので、このやり方は個人的なものです。
また、聞きようによっては、これは悪口を言うことですので、いい人でいたい場合には使えません。
私の友人は誰一人、私のことをいい人だとは思っていないと推測され、いや、確信しているため(笑)、この方法は、私にはなんらダメージを与えません。


発散方法は、カラオケで歌いまくるとか走るとか、瞑想するとか、踊るとか、寝るとか、自分の世界にどっぷりつかるとか、個人個人いろいろ適性に応じたものがあると推測されます。

発散方法がわかっていれば、怒りは、そんなに恐れる感情でもありません。

怒りが問題になる時、往々にあるのは、感じないようにして溜め込んだものが爆発した時、または、自分の怒りに自分が飲み込まれて言動のコントロールがきかなくなった時です。

怒りを感じたこと自体には、問題はないと考えます。
それは自然に生まれるもので、感じてはいけない感情など存在しないと。

また、怒りは創造性とリンクしていることもあり、それを原動力にいいものが生まれていることも多々あります。

怒りは非常にパワフルです。

怒りを短期的、長期的にどのように処理するか?というそこで、怒りが問題になるかどうかは分かれていると思われます。

そして、うまく手放せなかった時、うまく扱えなかった時、苦しみが生まれることは、自分もよく知っています。

なぜ苦しむのか?は個人個人さまざまな理由があるかと思いますが、セッションの場合は、その苦しみをどうしたいのか?という未来に先に視点を向けます。
苦しんだ過去を変えるより、苦しまない今と未来を作る方が話が早いからです。
過去を扱わないわけではありませんが、先に、今と未来をやります。

今が安心できる幸せな状態である時、過去の癒しは最も進む。

これは、自分の経験からも信条としてあります。
先に、今を楽にすること、未来に希望を持てる状態を作ることを優先します。

ですから、過去の苦しい感情が押し寄せるときは、今、その瞬間、その人を苦しめるものが目の前にはないということを表しているとも考えられます。

目の前に何かあれば、過去を考える余裕はないからです。
今起きていることについて、考えているはずだからです。

今の苦しみ、今の悲しみ、今の怒り。

過去の苦しみ、過去の怒り、過去の悲しみについて考えられるときは、今、目の前に少なくとも命を脅かす危機はない時が多いです。


続いて、悲しいの方ですが、私が使用しているリソースは、内省と創造性です。

具体的にはこれは気がすむまで一人でおいおい泣きます。
なんて悲しいのかしらと。(内省)

もはや、悲しいは私を殺そうとはせず、安心して、泣きたいだけ泣いて、すっきりします。

誰にも見せない文章を書いていることが多いです。(創造性)

こちらは、友人には、現在は、ほとんど話しません。
だいたいの場合ひとりで抱えます。
その方が好きなだけ泣けるからです。

この時、使用するリソースは、内省と創造性です。

こちらも、それぞれの性格やどういう種類の悲しみかが関係する話ですので、話すことで、悲しみが緩和する場合は、多々あります。
ひとりで抱えることがいい場合と悪い場合があります。





感情の発散方法、昇華方法も、それぞれのリソースや個性が関係してくるため、他人のやり方はうまく機能しない場合がありますが、まあ、こういう人もいるという感じで。

自分のリソースを把握しておくと、自分に合った方法が見つけやすいです。


ちなみに。
もしも、感情との付き合い方でお困りのときは、クリーンランゲージでは、この昇華方法、感情との付き合い方も見つけることができます。

何が起きればいいか?と聞かれた時に、「その感情について知りたい」「その感情との付き合い方を見つけたい」その他諸々、ご希望を言っていただければ、その人自身のリソースを使ったその人だけのことが登場します。

ただし、その人が本当に知りたくなければわかりません。
知ることを必ずしも望まないこともあり、いつ知るかも、本人の自由です。
解決したくないときには、解決したくないなりの理由があります。

楽に生きなければいけないという決まりはどこにもありません。

私個人は、心が楽なのが好きなので、自分が苦しみから楽になるためなら、そこを邪魔する考え、必要ない考えはなんでも捨てるという方針がはっきりしているだけです。

そして、これは最近顕著ですが、自分を常識や誰かの考え方に当てはめようとは一切しなくなりました。
表面に現れる他人の言動はいいと思えばモデリングしますが、思考方法はモデリングしない、というか、私、できないと悟りました。

その人と自分の脳が違うからです。

思想はモデリングすることはあります。
思考方法は、自らのものをいじります。


ブログに書いているのは、私の場合、です。

心はどんなに不自由に見えても、何を望むかは、いつでも自由です。
自由だということを忘れない限り。
同時に、心は自由ではないと決めることも、また自由です。


感情の昇華は、自由な方法で可能です。
内的なことだけで済ませるよりは、外側に存在するリソースを使用する方が早いなという感覚は、自身とそれからセッションの経験から、経験的には感じています。

いい状態でない内側から、内側だけに存在するリソースをひっぱりだすのは割と精神力が必要だからで、しんどいときに、精神力を使うよりは、他のリソースを使う方が、強い精神力というリソースを持つ人以外はうまくいくのではないかと思います。

強い精神力をリソースに持つ人はそんなに多くない、というのは、感覚として感じています。
それがある人は、そもそも、怒りや悲しみが問題とはなりませんし。

そして、感情の昇華がうまくいかない時、昇華するために、その強い精神力を鍛えよう、または、それを使おうとしている場合が多いような印象もあります。
そして、自分に落ち込むという事象が発生し、解決する問題が増えるというスパイラルは割とよく拝見します。

もしその人が望むなら、精神力の強化は、余裕のあるときにするとして、怒りや悲しみといったパワフルな感情の昇華には、もともと持っていて、強化の必要がないリソースを使う方が早いと感じています。

リソースを持たない人はいません。
ただ種類が個人個人違うだけです。