副次的効果

クリーンランゲージを使う人と話す時、とても楽です。
日常の普通の会話ですから、別に質問を使って会話するわけではありませんし、メタファーを使うわけでもなく、互いに言いたいことを言っているわけですが、それでも楽です。

それらの人には共通していることがあり、それが、楽なのだと思います。
それは、主語がはっきりしていることと、主語があいまいな時、推測で話を進めないで、主語を確認してくることです。

つまり、今、なんの話をしているのか、誰の話をしているのか、今、その人が話しているのは、自分の意見なのか、それともそうではないのかが、非常にはっきりしています。
何を話しているかあいまいにしようとすると、あいまいにしておきたいということがはっきりわかります。
あいまいにしておきたければあいまいなままでおいておけますが、あいまいにしたいのね、ということは自覚します。


また、私はこう思う、というのがはっきりしています。
また同時に、今話していること、それが事実なのか、それとも推測なのか、予測なのかもはっきりしています。


それらは、クリーンランゲージを使って話を聞く時に、聞き分けるように注意することをひっくり返したような感じです。


クリーンランゲージは、話を聞く技法ですから、例えトレーニングをうけても、話の伝え方は習いません。


しかし、私自身が感じるのは、自分が伝え方に注意を払うようになってきたことと、以前よりも、はっきり自分の意見を言うようになってきたことです。
自分の中にある情報を、見分け、これが私の意見ということが抽出しやすくなりました。

そして、はっきり伝えても問題にはならない、相手が例え理解できなくても問題にはならないという安心感が生まれはじめたことです。


クリーンランゲージとの関わりの中で、他者は話を理解できない、誰も自分と同じようには感じないということを見た後、生まれたものは孤独ではなく安心感でした。

そして、だからこそ、伝え方に工夫が必要だ、だからこそ、人とは話し合わないといけないと思うようになりました。
コミュニケーションは非常に大事だと。

他者との距離の取り方が少し変わりました。
自分と自分以外の人との線引きが非常にはっきりしています。

話の聞くことと、話を伝えることは、深く繋がっているんだなと感じています。
聞き方を変えたら、伝え方を変えようとし始めたと。。。



話は飛ぶようですが。

私に関していえば、クリーンランゲージで鍛えられたのは、どちらかというと、左脳的で男性的な部分のような気がしています。
右脳的で女性的な部分とのバランスがとれたというか、、、。

私は日記を書いているので(ブログです)、この変化はそこで自分が選ぶ言葉や表現から見ることができました。

接続詞と主語、語順に注意を払うようになってきています。
細かいところですが、それらが何を起こすのかを目で見ました。

結果、私の伝え方がもっとも変わったのは、文章ではないかと思います。

(普段の会話は、何か問題を解決しようとしている時以外は、ウケればなんでもいいからです。)


また、この自分の動きから、なにか、そこに、まだ自分が言語化できていないアウトカムが存在しているのではないかと推測しています。

この、自分の行動から、自分が気づいていないアウトカムがあるのではないかと推測するようになったのも、変化のひとつです。


同じように、他者の行動を見るときにも、特に、なんだそれ?と思うような理解できないものを見た時にも、そこに何か隠れたアウトカム(望み、目的)があるかもしれないと、他者のアウトカムの推測を立てながら、関わるようになりました。


クリーンランゲージは、話を聞く技法です。

ただ、それを使うことが、自分の話の伝え方や自分の個性を活かしていいのだという承認に繋がったあたり、そしてそれが、どうも自分だけに起きているのではないように見えるあたり、これは、副次的な効果としてあるのではないかなと思いました。

英語で、そこには全く着目されていないのは、英語圏ではスピーチや表現の仕方は、学校で習うので、すでにトレーニングされていて、できる方が多いからではないだろうか?と推測しています。
効果としては感じにくい。


同じ道具が、言語や文化の中で生み出す効果が、それぞれの言語や文化によって、もしも異なるとしたら、それは非常に興味深いと思います。