ただいま





















お引越ししてみたものの、なにやら好きに書くという場所の気はせず、しかし、アプリはアップデートしてくれず、しかし、ブログはスマホで書きたいという日々。

ついに違うアプリを使えば可能と気がついた今日。
というわけで、ただいま。

過去ブログを整理したものをTumblr にアップすることにしまして、こちらは、また、ぶつぶつ、好きなように日記をつぶやきます。

さて、時すでに12月。

仕事納めの日も決め、はやくも私の今年を振り返ると、全てを象徴するものは「猫」。

私自身のステージを変化させたもの。
それは、どのようなセッションでも、瞑想でも、なんらかのトレーニングでもなく、猫、でした。


今年、我が家に3匹の猫が加わりました。
関わった数でいえば5匹。

猫の寿命は、15-25年。
関わったのは、みな子猫。

幅はありますが、それは、未来を意味しました。
過去から未来へ、視点が完全に切り替わり、過去は完成された作品として残したいと私は考え始めました。
もう、過去を触る必要はない、それは完成している、と。


また、猫が3匹、うさぎが1匹、人間が2人の状態になったことで、私と夫の暮らしが変化しました。
私たちは、ちょうど6年一緒にいます。

そもそも個人行動を好む二人組が私達夫婦で、ここまで、二人、なんとなく暮らしてきたけれど、猫が増えたことで、なんとなく「家族」という雰囲気が生まれ始めました。
「家庭」の匂いがそこにあります。


姿を現した「家族」と「家庭」は、過去のブログに書き綴った、私が求めた要素を含んでいました。

平和と笑い、自由。猫だけに自由。


現れた家庭を見て、私は、過去の夢は夢でなくなったこと、過去夢みたものを手に入れたこの状態から、自分の未来は始まるのだと思いました。


足元が固まったような感覚がしました。


私にとって、家族という要素は、非常に大きな影響力を持つものなのだなと再認識しました。

と同時に、自分は、家族関係から、何も学びたくないと思っていることも認識しました。
ただ、平和で温かな自由な時間をそこに求めている、家族は、私にとって、休憩の場所だということ。



長い長い時間をかけて、夢をみて、そして手に入れたものは、今、もう目の前にあり、私は、家族の話は完成だ、と感じたのでした。
まとめよう、と。



同時に、新しい夢は、すでに、見始めていて、この満たされた状態の中で、その夢を拡大させていくことがここからだろうと感じたのでした。


私の過去を完成させるための最後のピースは、猫、でした。
猫が来てみるまで、わかりませんでした。




猫は、私が育った家庭にもいました。
子供の頃から、30才すぎるまで、猫は家族でした。

足を骨折した子猫を妹と二人、家に連れ帰り、お願いだから家に置いてくれと、猫嫌いの母に必死で訴えたのは11才の頃。
足が治るまでいてもいいという約束で、玄関においたダンボールに収まった猫は、そこから25年、座布団の上で息絶えるまで家族でした。


なぜに今年、突然、こんな猫まみれの日々になったのか、全くわかりませんが、ともかく、猫は、私の中の何かを大きく変えました。


猫は、私にとって、ある種のシンボルなのでしょうが、メタファーとしてイメージの世界に存在するのでは効力を持たなかったのだろうと思いました。

自身がメタファーで語る時に、猫のメタファーは、登場したことがありません。


ともかく、全ての根っこを猫が変えました。


そして、私は、未来の中にすっぽり収まる自分というイメージを見ました。

いつか子供の頃に夢みた未来の中に、すっぽり自分は収まっていて、その夢はことごとく叶ったということ。
見た夢が、可愛らしいものだったので、私はまだ億万長者ではありません(笑)


夢が叶っている状態の中で、次の夢を進めるという経験を私はしたことがありません。

今から全く知らない世界を、猫とうさぎと夫という家族と、友人達、仲間達、新しく出会う人々と「作る」、多分20年くらいはかかる、でも、できる、40年がかりでも、夢は必ず叶う、今、抱く夢は20年かける価値がある。


そんな感じの12月のはじまりでした。