追い詰められると起こったこと

この2日ほどで、一気にいろいろなことがどうでもよくなりました(笑)

「自分にとって」大事な人と大事じゃない人の区別がすごくはっきりしたと言いますか。
現実的には、特になんの変化もないのですが、自分の周りの人口密度が一気に減った感じがします(笑)

地球上に人間は70億人以上いますので、全員を大事にすることは誰にもできません。

そして、私はこれまであまりにも、「自分にとって」大事じゃない人を大事にしすぎてきたという気分になりました。
誰かや何か特定の対象があるわけではありませんが、そういう気分になりました。
あまりに平和を望む気持ちが強すぎた・・・というか、単に、もめ事を全力で避けてきただけですが。
めんどくさくて。

人を尊重することはとても大事だけれど、人の意見を尊重するあまり、自分の意見を後ろにおくというようなことも、あったかもしれないねえ・・・と。
それはひっくり返せば、相手の器を信頼していないことになるねえ・・・と。
それは、本当には、人を尊重していないねえ・・・と。

そして、別に大事にしなかったからといって、攻撃するわけじゃないから、揉め事は起きないねえ・・・と。
だって、平和が好きだからね・・・。
戦うのは好きじゃないからね・・・。

何してたんやろ?と思いました(笑)
色々と。

あほらし・・・。

誰かの世界観を大事にしたいのは、それが、相手が自分にとって大事な人だからです。
クライアントさんもそうですね。
大事な人だから、最大限に尊重しようとします。

お金をくれるからではありませんよ(笑)
目の前にいる、自分を頼ってくれた人は、やはり大事な人です。

仲間も友人もそうです。
家族もそうです。


また、、、、世界観。
世界観は、100人いれば100個あります。
その中の全ての世界観は、尊重されてしかるべきとは思いますが、全てに配慮を払えるかというと・・・現実的にはまあ無理で、自分が関わる人、自分が大事な人、それしか、無理というものです。

そう、無理。

なんて、無理なことを一生懸命しようとしていたのかしら、と力が抜けました。
コミュニケーションするときに、相手の世界観を大事にしようとすることと、そうではないときが、たぶん、ごっちゃになっていたのだな・・・・。

自分が何かをするときに、特に創造に関わるときに、もっとも尊重しなくてはいけないのは、自分と自分の世界観で、それを尊重しないのは、自分で自分の世界観を汚したり踏みにじったりするようなものだ・・・とおもったのでした。


特定の何かがあるわけではないのですが、まあ、そういうことだ・・・と思ったのでした。



なんだか、楽になっていくので、しばらく追い詰められていようかしら・・・(笑)