それ、もう好みでよくない?

先日、友人と話していた時のこと。
似たような話を最近何度か聞いたことを、友人もまた言いました。

友人の話。

目の前で、だれかが何かをしているのを見て、ある種の不快感を感じた。
その不快感は、自分の中の何かを投影しているのではないだろうか?
私は自分と向き合った方がいいのかな?


が、それ。


その不快感は、不快だという以外には、友人になんら問題を起こしてはいませんでした。
ただ、それを見た時に友人が不快感を感じるという以外には。


それさあ、、、もう好みでよくない?

自分は、それを見るのが好きじゃない、という、個人の嗜好の話じゃない?

単なる好き嫌いの話。


誰かが好むものを自分は好きじゃない、それを見せられるのを好きじゃない、ただ、それでよくない?と。

その好みが病的で、その人自身に、現実的に問題を引き起こすなら、それは向き合った方がいいかもしれないけれど、ただ、不快感を感じるという程度ならほっておけばいいんじゃない?

不快感を感じるのがいやなら、どうにかした方がいいかもしれないけど、全く不快感を感じない人生にチャレンジするのは、まあ、、、あまり私はおすすめはしないけど。

無理でしょ、多分。。。
他人と没交渉するつもりがなければ。。。



好みでいいやん。
、、、と、私は思う。

私はね。。。


難しく考える必要がない心の動きも、あるにはあって、自然なこと。

いわば、
子供部屋に、かわいいでしょう?と母親がスイートなレースのカーテンをかけたのを見て、クールなテイストが好きな子供が、げ!と思うのと同じようなこと。


ただの反応。

好きか嫌いか。


嫌いなものが登場したその後、には向き合う必要があるかもしれません。
向き合うというか、感情の処理方法の練習。

こちらは、どうにでもなります。

まあ、しかし、それも好みの話になるかもしれません。