なるほどな

数日前、私は心理的に追い詰められました。
2年時間があると思ったことは、すでに、少しずつ始まっていると気がついたからです。

新しく考えなければいけないことが登場し、頭のスペースが急激に減ったと同時に、時間がない、と精神的に追い詰まりました。

自身の精神的な準備もできていませんでした。
私はそれで対応を間違え、少々、ややこしい事態になり、やや狼狽しました。

自身のリカバリーに一日以上かかりました。
私は、落ち込まないわけではありませんが、立ち上がりが早いので、これは非常に珍しいです。


一日中、何が起きればいい?何が起きればいい?と自分に問い続けました。

クリーンランゲージ&シンボリックモデリングのセッションの最初にPROという、望みや目的を明らかにする段階がありますが、自らにそれをしました。


普段、自身がクライアントの場合、私はこのPROの段階をほとんど必要としません。
望みがはっきりしていることが多く、何が起きればいい?と尋ねられれば、一発で望みが登場するからです。

望みを言語化して明らかにすることに慣れていない方は多いので、セッションではPROが延々と1時間以上続くこともあります。

この場合は、望みは、好むものでまだここにないもの、という概念です。
自分が好む未来を探し、時に必要であれば、新しく生み出すプロセスがPROです。

未来という望みを生み出す必要がある時、PROの段階は時間と体力、気力を必要とします。
すぐには浮かばないことは多々あります。
考えたことも想像したこともないことを考えなければいけない場合があるからです。


しかし、必ず、それは生まれる。
弾けるように、湧き出すように。

、、、ということを、セッションを通して、何度も見ていたため、私は諦めませんでした。

何が起きればいい?
何が起きればいい?


最初浮かぶことは、悲壮なことばかりでした。
そのあることは、条件が悪すぎる、と私は感じていました。
絶対に必要と思われるリソースが欠けているように感じられました。

浮かんだ内容をイメージしないように注意しながら、私は自分が思った言葉だけを眺めました。
イメージすれば、メタファーランドスケープが動きます。
自分の中で、問題を発展させることになります。


私は、ただ、浮かんだ言葉が、問題か説明か、アウトカム(望み)か、レメディか、気づきか、それだけを分類する努力をしました。

他人の言葉なら簡単なその作業は、自分ですると、割と難しいことに気がつきました(笑)
感情が動くからですね。
そして、自分は自分の世界観の中にいます。

ファシリテーター、意味あるわ、、、と思いつつ、私は作業を続けました。


何が起きればいい?
何が起きればいい?

その質問を英語で投げ続けました。
アウトカムは登場しませんでした。


一晩明け、突拍子もないアイデアが、自分の中から浮かび始めました。
リソースばかり。

気がついていなかったものも含め。

あれができる、あれが好きだ、あれが得意だ、それはある、これもある。


そして、私は、これを望んでいる。
いや、望んできた。

そして、今起きているこれは、その望んできたことを、叶えるチャンスだと。
ぱっと見、大変そうなことに見えるけれど。

起きたことで心理的に追い詰められ、さらに、質問で自分を追い込んだ結果、今まで浮かんでいなかったことが浮かびました。


なるほどな、と思いました。