年の瀬の気づき

年の瀬に、数名から、来年の仕事の依頼が何件かあり、それを通して、これあなたのリソースよ、と教えられました。
仕事は、久々にする仕事と、新しい仕事とが入り混じっていました。

それらが依頼された理由は、私がそれらをできるでしょ?という理由でした。
基本、よほど条件が悪く、相手がいいように自分を使おうとしていると自分が感じなければ、やったことがあるかないかは考えないで引き受けます。

それらの話をする中で、あなたはこうだから、と依頼者さん達が話すのを聞いていて、そういえば、そうかもと気づきました。

フリーランスですから、会社の評にあたる部分は個人の評です。
お宅の会社はこうですよね?の部分は、すべて、あなたはこうですよね?です。


自分について突きつけられる場面は、多いです。
悲しいかな、誰のせいにもできません。


というわけで、最近のそれらを聞いて、あ、そうなのかと受け入れました。

それらはおそらく、ここまでもずっとそうだったことなのですが、その評は、私のキャラクターと真逆の評のため、例により、頭の中で、うまく理解ができていなかったようです。
また、いつも、そういうやり方をするわけでもないため、よくわかっていなかった模様。


いつもそういうやり方ではない、に鍵はありました。

そして、その評で、私は、自分が好きな仕事と好きじゃない仕事の見分けができたのでした。


その評は、細かい、丁寧。
または、よく気がつく。
または、重箱の隅をつつくように気が回る。
それから、作業が緻密。


自分としては、細かいという言葉がしっくりきます。


面白いのは、私が、主にめんどくさがりやの大雑把な性格だということで、全ての仕事について、そういうやり方はしていないということです。
そういうやり方のこともあるし、そうじゃないやり方のこともあります。


ともかく、細かい、丁寧と言われる時、私の中のめんどくさがりは登場していないわけです。


なぜ、登場しない?
性格は変わらないのに。

好きだからだ、やりたいことだからだ!とわかりました。



私、24才の時に、天職だと信じて疑わなかった仕事を諦めました。
好きで好きでたまらなかった仕事でしたが、体を壊して継続不可になりました。

好きで好きでたまらなかったことは、私に絶望感を教えてくれました。

それ以降、私にとっては、仕事はどれでも同じになりました。
その仕事を通して「自分が何をするか」というテーマは、ずっと同じなのですが、何の仕事をするかにはこだわらずにきました。

自分へのニーズを優先しました。
他者が求めるもので、お金になるもの。
すなわち、他者になにかを提供できるもの。
仕事で精神的満足を得ることについては、24才に諦めました。
代わりになるものなどなかったからです。

長い間、ほとんどの場合、仕事の最初は受け身でやってきています。
これが必要かなと思えば提案しますが、最初の時点で、自分がやりたいからやるということは、ほとんどありません。
これやらないか?という依頼が先にあります。


長い間、好きか嫌いかの見分けも、あまりしていませんでした。
好きなことは失ったのです。
どれでも同じだと思っていました。
自分にとってはどれでも同じなので、他人が求めるもの、他人が必要としていそうなことに目を向けようと30才くらいに思いました。


そして、43才。
ついに私は、自分が好きな仕事とそうでない仕事を見分ける方法に気がついたというわけでした。

それの判断基準は、楽しいか楽しくないか、ワクワクするかしないか、ではありませんでした。

細かい自分が登場する時、私はむしろクールで冷静です。
譲れないと主張する頑固さも登場します。
それらは、時間が絡む仕事の場合が多いので、顔は笑っていても、ピリピリしていたりすることもあります。

セッションの時も、私の中は冷静です。
しん、、、としています。
割と細かいところをつつきます。

そして、終わった後に、あ〜、、、とほっとします。


つまり。
それを行なっている時には、冷静で細かい仕事をし、終わった後に、ほっとする仕事。

それが、私が好きな仕事だとわかったのでした。

だから、その仕事が好きかどうかは、終わるまでわからない。
好きか嫌いかは、結果として現れるだけで、最初にはわからない。

ただ、細かさ、冷静さを要求される仕事は、好きな可能性が高いということ。
私のリソースを使わせるから。



好きなことだけやりたいなら趣味でやるので、仕事を好きかどうかは、どうでもよいという価値観が、私の中にはありました。

好きなことの方が行うのが楽なため、自分がしていることを好きになる努力はいつもしました。
工夫です。

結果、いつも好きなことはしているのですが、本当に好きなこと、努力も工夫もしないで好きだと感じること、に気がついたのでした。



そして、好きに伴う感情は、そんなに薄っぺらくないと。

また、好きを見分ける感情も、人それぞれ違うのだろう、、、と。

私の好きな仕事は、非常にクールな状態に自分がなり、自分の感情に気を配らない状態に自分がなる仕事。
自分の感情が重要じゃなくなる仕事。
細かいことを気づく必要がある仕事。


自分の感情に気を配らない。
だから、好きとも感じなかったのね、となにか妙に納得したのでした。


来年の依頼は、どれも、それを満たしていました。

他人の方が自分を把握していることも、これまたよくあること。

引き続き、受け身でいきましょ、だれかの願いやニーズを叶える手伝いをしましょ、と思ったのでした。

 
好きに伴う感情は、自分の場合、好きとは限らないのだなあ、、、、という素晴らしい気づきが訪れた年の瀬の話でした。