日本語にしかないクリーンな質問のための洞察(2):WHEN WANT THAT, WHO DOES WANT THAT? 〜 Who is subject ?〜
朝、起きて、私は、「ああ!」とまた叫んだ。なぜなら、起きた瞬間、私の頭の中に「主観的経験」という単語が浮かんだからだ。
「英語と日本語の大きな違いの一つは、「アウトカムとその人との関係性」だと、私は気づいた。これは、文章としての関係性だ。心の中ではどうであれ。扱えるのは、言葉になったものだけだから。クリーンランゲージなので。」
私は、そうだ、シンボリック・モデリングは、クリーンランゲージだと思った。
それは、クリーンランゲージを使ったシンボリック・モデリングだ。
クリーンランゲージは、「主観的経験(体験)」を扱う。
誰が、それを知覚しているのかは、非常に重要ポイントだ。
メタファーの世界の中では、シンボルに主体性はあってもなくてもいい。
けれど、シンボリック・モデリングのセッションの中で、メタファー・ランドスケープを発展させる前に、絶対に確認が取れている必要があることがある。
アウトカムは、クライアントとの契約だ。
「今から、ここに向かうけどいいですか?」という契約だ。
一番最初のアウトカムだけは、「それがクライアントが望んでいること」と明示的に確認できている必要がある。
だから、私は、6年前、当時の日本語訳「何が起きればいいのでしょう?」には、絶対に「あなたは」を追加する必要があると思ったわけじゃない。
(私の質問を探す旅は、ここから始まった)
そのとき、私がジェームズに書いたのは、「クライアント自身の望みを問いかけるわけだから、クライアントに注意を向けてもらう必要があるので、質問訳から<あなたは>は省けない」という話だった。しかし、意見が割れている。あなたの考えはどうですか?
それが、私がジェームズに最初に書いた手紙だ。正確には、私の英会話の先生が書いた手紙だ(私は、その頃、英文が上手に書けなかった)
これは、自分の経験的なことからきたことだ。
クリーンランゲージを使用し始める以前、頭が混乱した状態、考えがまとまらない状態でやってくるクライアントには、同じ特徴があった。
それから、「人の気持ちがよくわかるんです」というクライアントにも同じ特徴があった。
自我が弱いクライアントは、もう、これが顕著すぎた。(その人たちは、他人の気持ちが自分の中に入ってくることで悩んでいることが多かった)
その人たちが持っていた同じ特徴は、「主語を全く使わない」という特徴だ。
「私」や「あなた」「私」を省略するのは、まああっても、ほとんどの文章に主語が入っていないクライアントは、混乱しているか、考えが全くまとまらなくて困っているかしていることが多かった。
それで、クリーンランゲージと出会う前の私がしていたのは、「今から一時間、主語を使って話してください」というワークだった。ワークというほどのものでもないが、ともかく「主語をつけて話してください」、と、私はクライアントに指示した。
すると、クライアントの思考は、何もしなくても、整理されていった。
そして、それは少ない回数ではなかった。
「自分が何を考えているかわからない」というクライアントには、私は「今から一時間、<私は>と主語を省略しないで話してください」と指示した。
嘘みたいな話だけれど、「私は、〜」と話す間に、クライアントは、自分が何を考えているかがわかるようになっていった。
そして、自分の悩み(問題)と、望みが理解できるようになった。
その経験があったので、「何が起きればいいのでしょう?」に、「あなたは」は絶対に必要だと思った。
2022年現在、私がこの質問をセッションの一番最初に使うときは、「〇〇さん(クライアントの名前)、そして、あなたは何が起きればいいのでしょう?」と言う。英語の時と一緒。
話は土曜の夜に戻る。
私は、また、ディスカッションを思い出した。
その日、誰もがそこに持ってきていた文章がある。
アウトカムとプロブレムの文章だ。
その場にいたのは全員日本人で、だから、誰も不思議に思わなかったし、誰もそこには触れなかった。
けれど、もしも、あのディスカッションが、英語で行われていたら、必ず、そこにいた人たちがしたはずの質問がある。
そして、話はSNSのメッセージに飛ぶ。
私は2、3日前に、翻訳についてしたやりとりを思い出した。
「誰が?」「誰の?」「誰から?」とKと私は確認していた。
私たちが考えていたのは、もう、基礎も基礎、最初の最初に習う専門用語の訳についてだった。
そして、話はLINEのチャットに飛ぶ。
私は、Hが、時々してくる質問と、Hのニーズを思い出した。
「主語は何?」
そして、私は、もう一度、「そして、あなたは何が起きればいいのでしょう?」を眺めた。
シンボリック・モデリングにおいては、この文章の中で、一番大事なのは、「いい:LIKE」の部分だ。
クリーンランゲージについては、「あなたは」のはずだ。
だって、それがなければ主観的経験にならないから。言葉としてはですね。
他の技法だったら、これは省略していいと思う。
クライアントの言葉そのまま、でなければ。
クリーンランゲージおいては、クライアントが「〜したい」と言った時、「それがクライアントの望みだ」と判断するのは、ファシリテーターの思い込みで決めつけになると、私は気づいた。
話しているのはクライアントでも、クライアントがクライアントのことを話しているとは限らない。
クライアントが、「私が」「私は」と言ってくれない限りは。
クリーンにいくなら、そうだ。
そして、絶対に、それが、クライアント自身のものであると確認しておく必要があるのは、 DESIRED OUTCOMEだ。
望みの知覚者はクライアントである必要がある。(言葉の上では)
クライアントの主観である必要がある。(言葉の上では)
言葉の上では、望みは、クライアントを源泉としている必要がある。(本当のところはどうかは、最初にはわからない)
つまり、誰が望んだかを、確認しておく必要がある。
もしも、クライアントが「私は〜」と言わなかったのであれば。
私は、自分自身は、「あなたは」という言葉を付け加えることで、それを長い間してきたんだなと気づいた。
自分のものじゃなければ、その時点で、クライアントは、「いや、私じゃありません」と言ってくれるから。
私個人は、それでいいかもしれない。
けれど、クリーンランゲージに則っていくならば、クライアントに尋ねるほうがクリーンだ。
それに、質問の方が初心者の人もできる。
クライアントが、望む発言をしたとき、そこに主語がなければ、誰がそれを望んでいるかを確認する方がクリーンだろう。
「あなたのその望みは、誰でもないあなたの望みでよかったですか?」というのを、クライアントとファシリテーター、両方が確認するのに。
つまり、私は、最初に、答えの場所にいたんだ・・・と私は思った。
始まりの場所が、終わりの場所だったんだ。
最初から、答えにたどり着いていたんだ。
足りなかったものは、それを説明する知識と経験だ、と思った。
日本語だけに必要なクリーンな質問には、「誰」という言葉が必要かもしれない。
PROの中で、望みの主体を確認する質問が、日本語には必要かもしれない。
ところで、「誰」って、メタファー?
メタファーだよな。
使えるのかな。
望みの知覚者を尋ねるのはありなのかな?
望みの主体を明らかにする質問、ってありなのかな?
だって、主観的経験を探究するんだもの。
デイビッド・グローブは、「誰」が入った質問は検討もしていないのではなかろうか。
だって、英語話者だから。
検討したのかな?
あるのかな、ないのかな。
聞いてみよう。
私は、頭の中が、ものすごいスピードで、なんだか宇宙の果てまで飛んでいけそうなくらいに動き出したのを感じた。
そして、「日本語だけに必要な質問があるかもしれないよ」と書いたジェームズを思い出した。
・・・もしかしたら、気づいていたのかもしれないな。
とりあえず、クリーンな質問の中に、誰、が含まれているものがあるかどうか調べてみよう。
あったら、それを使えばいいね。
「主語を使わないで会話してるなんて、日本人は一体どうやってるんだ?!」とざわめくクリーンなコミュニティの日本人以外の人の顔を思い出して、私は、少しだけクスッと笑った。
はい、次は、英語で、これを説明します!
まずは、私の推測がクリーンの定義に当てはまるか、確認しないといけない。