誰が、魔法使いだったのか?

 

誰が、魔法使いだったのか?


私が答えに気づいてしまったので、この物語はもう少しで終わる。

つまり、ランドスケープが成熟しきり、私のアウトカムは達成される。


私のアウトカムは、「魔法使いになりたい」だった。


誰が、魔法使いだったのか?

なぜ、この6年、魔法のようなことが起こり続けたのか?


その答えに、私が気づいてしまったら、アウトカムは達成だ。


魔法の世界は本当に楽しかったので、それが終わるそこに一抹の寂しさを感じた。


けれど、人生は続く。

私は、自分に質問した。


まだ、現実は追いついていないけれど、私の内側の世界では、もう、話は終わりだ。

内側の世界は、「未来」を生み続ける。


シンボリック・モデリングで作る内側の世界は、今から未来にかけての世界だ。


私がシンボリック・モデリングが好きな理由の一つは、セッションを通じて、「望む未来や世界の作り方を、クライアントが学習できる」ところにもある。


シンボリック・モデリングを考案した二人は、問題解決を目指してはいない。

彼らは、問題を解決するのではなく、その出来事から学習するというスタンスだ。


一度のセッションでは無理だが、クライアント(の頭と体)は、セッションを通じて質問を覚える。

そして、ファシリテーターは、クライアントの世界の中には介入していない。


それが何を意味するかといえば、私の解釈では、ファシリテーターなしで、クライアントは、現実の人生の中で、「その人が持つ長所やいいところ、その人にとって価値あるものを使いながら、自律的に、人生を作っていけるようになること」を意味する。


かけがえのないその人の人生を。

希望とともに。


アウトカムは、希望でもある。


この数年、自分が複数回、シンボリック・モデリングのセッションを提供した人たちの現実がどう動いているかを、私は観察していた。

ひそかに(笑)


そして、その人たちが、まるでセッションのことは思い出さずに、セッション中に話していたアウトカムを、軽やかに達成するのを何度も見た。

それは、クリーンランゲージ以外のセッションをした時と、歴然とした差があった。


まず、何より、私のことを思い出さないのが素晴らしい。

それは、その人が、自分の手と足で、自分自身の人生を、自分の力で、変化させてみようとしていることを示している。

セッション中にそうしたように。一度、または、何度も練習したように。


つまり、私は、クライアントのランドスケープに介入せずに、やり遂げられたことが確認できて、私的には、「クリーンにやれた!できた!」だったのだ。



さて。


この質問は、クライアントのアウトカムがセッション中に達成され、変化も成熟し、そのランドスケープでは、もうやることがなくなった時に使う。



そして、あなたは、今、何が起きればいいのでしょう?



すると、私は、ゲド戦記という物語のことを思い出した。


二十代の頃に、シャドウについて勉強していた時期に、課題図書だった何冊かあるそのシリーズで、私が一番好きなのは、最後の最後のシーンだ。



全てを終えたゲドが、日常に戻り、静かな朝を迎える場面。



それから、私は、思い出した。

「魔法の図書館の中で、静かな時間をたくさん過ごす」とか、「新しい日常」とか、そういうことを自分が今年に入ってから何度か言っていたこと。



それからまた思い出した。

もう10年以上前、私がクリーンランゲージに出会う前に、何人かの人から言われたこと。

私の周りには、やたら勘のいい人がいる。

「英語をマスターしなければ、あなたのこの先はないよ」とか、「海外と日本を行ったり来たりし始める。一人ではない、ツアーガイドみたいなことをやり始めると思うよ」とか。


私には、なんのこっちゃら、さっぱりわからなかった。


それから、また思い出した。

やたら勘のいい母親が、「お姉ちゃんはなんだかイギリスにいる気がするのよ。不思議ねえ」と、それも、10年少し前に言っていたこと。

この話は、おかしな話だと思ったので、このブログにもどこかに書いた気がする。



そして、昨日、私はイギリスにいた。

バーチャルで。

オランダの人、ドイツの人、フランスの人、マレーシアの人と一緒に。



そして、それから思い出した。

ここまで展開し続けた私のランドスケープの始まりを。


私は言った。

「私の心の中にある国境を取り去る。これからは地球が私の家だ。私がバランスを保つには、人生の中に国が二つか三つ必要。

それは普通じゃない。でも、私には必要」


これは、2016年のどこかに書いています。



そして2020年の世界に起きた変化が、体力がない私が、二つか三つの国を簡単に行ったり来たりすることを可能にした。


その年、クリーンランゲージのワークショップやトレーニングは、大きな舵がきられ、たくさんの機会が、オンライン上に現れはじめた。

時差はあるが、日本時間でも無理がない時間のものもある。


そして、並行して、自動翻訳AIたちがめざましい進化を遂げ始めた。



そして、私は昨日、この週末、私が興味がありそうなグループがあるよと教えてもらい「頼もう!中に入れてください!」と、とあるドアの扉を叩いた。


まさにそれこそ2020年の世界のおかげで、インターナショナルに開放されたイギリスの扉だ。

私は、語学力に自信がなかったので、今までそのドアは叩いていなかった。

中に入れてもらうには魔法使いの許可がいる。まあ、そんなに厳しい条件ではない。


今も英語に自信はないけれど、もはや、どうとでもなることに気づきはじめた。

そして、たくましくなりはじめた。

私は、相手が何を言っているか、クリーンランゲージに関わることであれば、文脈から推測もできるし、単語も限られているので、だいたいは理解はできる。

(日常会話は、たまにさっぱり何を話しているかわからない)


そして、私は気づいた。

英語話者のみなさまは、私の英語を3回くらい聴くと、私が何を言っているか、だいたい理解できるようになるらしいと。

これは、私が、辿々しい日本語を話す人が何を言っているか、だいたいは理解できるのと同じだろう。


みなが「は?」となっても、そういう人たちが、「今、彼女はこう言った」と親切に通訳してくれることもある。

英語が第二言語の人もたくさんいる。

ちなみに、私よりひどい英語を話す人にはまだ会ったことがない。


英語の世界の中、感謝を表現する私のボキャブラリーは増え続けている。

感謝なくして、私は、その世界に参加できない。

たくさんの人に助けてもらうからだ。


そして、朝起きてメールをチェックしたら、扉の鍵が届いていた。



「そして、あなたは、今、何が起きればいいの?」


新しい日常を自分の力いっぱい楽しむこと。

クリーンランゲージのことを、日本にたくさん紹介すること。



私は、愛に溢れた明るいお日様の下で、流れる豊かな川の上にかかる、虹色の橋になりたい。


今と未来を繋ぐ橋。

過去と未来を繋ぐ橋。

内側と外側を繋ぐ橋。

願いや望みと現実を繋ぐ橋。

日本とイギリスを繋ぐ橋。

日本語と英語を繋ぐ橋。

知識を繋ぐ橋。


その橋の上を通る人たちの幸せと笑顔のために、愛と平和と希望の実現のために、いろんなものを繋ぐ橋になりたい。


橋は、魔法を使わない。

橋は、その上を通る人が、もしも魔法を使いたいと願うなら、その人が魔法を使うのを手伝う。




誰が、魔法使いだったのか?



魔法使いだったのは、彼らじゃない。


魔法使いだったのは、私だ。


なぜなら、私が望んだからだ。

「私は、魔法使いになりたい」と。



そして、今、私は、橋になりたい。