さあ、この文章はなんでしょう?「〇〇を改善したい、でも、手がかりが見つからない」

読む前に、シンボリック・モデリングを使う人は、先に、自分でタイトルの文章はPROのどれかを考えてから読んでください。

そして、以下は、私の見解だということをよく把握して読んでください。
私が書くのは、正解ではありません。
この話に、正解はありません。

シンボリック・モデリングを楽しんで上手に使うコツの一つは、「正解を求める心」を手放すこと。定義はあるけれど、正解は一切、ございません。(というのが、私の理解)

・・・・・・・・・

昨夜からずっと考えている一文がございます。

「〇〇を改善したいんです、でも、手がかりが見つからないんです」という文章。

これは二つの文章が一緒になっている文章だ。

(a)〇〇を改善したい

(b)手がかりが見つからない

bが解決すればaは達成できる。ぱっと見、シンプルな文章だ。

日常で誰かがこう言ったら、私は、「手がかり」を一緒に探究しようとするかもしれない。


話は、今、シンボリック・モデリングだ。
その文章を、プロブレム、レメディ、リソース、レメディ、ただの状況説明のどれかに分類せねばならない。


これを、クライアントが目の前で口にしたら、私の質問は、「そして、手がかりが見つかると何が起きますか?」だ。

この文章を昨夜見た時、私はそこには迷いがなかった。

朝、起きて、もう一度、文章を見た。


「ほんまに?」と。

なんとも複雑な文章だ、と、私は思った。
そして、この一文こそ、日本語のクリーンランゲージの鍵を握っているかもしれない、と思った。


「〇〇を改善したいんです、でも、手がかりが見つからないんです」


まず、この「改善したい」は、もう一つ質問してみないと、アウトカムか、レメディかの判別がつかない。

改善して、〇〇が、今までにない、いい状態が現れるのであれば、アウトカム。(いい状態が増える)

改善して、〇〇の今ある悪い状態が無くなるのであれば、レメディ。(悪い状態が減る)

改善して、元に戻るだけであれば、新しいものが増えるわけではないので、レメディ。(問題解決策)


これは、クライアントがどう考えるかということであって、ファシリテーターには判断がつかない。

だから、「改善したい」についての質問は、私なら、とりあえず、「そして、〇〇が改善すると、何が起きますか?」

ちょいと未来を想像してみていただく。


「手がかりが見つからない」

手がかりは純粋にリソースなのか、レメディなのか。

そして、この手がかりは、物理的なものなのか、それとも、体の中にあるのか?


手がかりが欲しいといえば、私は迷わず質問する。

「そして、その手がかりは、どこ/どのあたりにありますか?」

日常会話なら、「は?」と思う質問かもしれないけれど、これは意外と答えは出る。

手がかりは、すでにメタファーっぽい。


「手がかりが見つからない」

そもそも、この文章は、プロブレムなのか、それとも状況説明なのかという判断も日本語だとぱっと見よくわからない。

英語に変換すれば、プロブレムだと判断がつく。
I can't find the clueとか、多分、なんかそんな感じだろう。

純粋にプロブレム扱いでいい気がする。英語なら。

でも、日本語になると、この「見つからない」をクライアントは、「見つけられない」と言っているのかどうかが、私の中で、ちょっと、曖昧になることにも気づいた。

これでは、人に説明できない。


私は分類は迷うけど、この文章への質問はわかる。

ただ、なぜ、その質問をすることにしたかの私の中の根拠が、非常に曖昧だということを、私は自覚した。


同じ会に参加していたクリーンランゲージ使いの人々も、口々に言っていた。

「これはもう、日本語の話だ」


そして、私は、日本にきてくれた魔法使いが数年前、静かに優しく言った言葉を思い出した。

「Y。みんなでね、10年くらいはかかるんじゃないかって言ってるのよ。もう少しね、日本でクリーンランゲージを使う人が増えて、そして、日本のクリーンコミュニティが育ってきて、そして、それからじゃないかって。あなたは、ただ、あなたのままでいなさい。全てをオープンにし続けなさい。ゆっくりでいいのよ。みんな、わかってる。ドイツも10年かかりました」


ああでもない、こうでもないと笑いまじりに検証する環境が、今、目の前に現れ始めた。


「日本語のクリーンランゲージを改善したい。そして、私は手がかりを見つけた。」


手がかりは、クリーンランゲージを愛する人たちの中にある。

自由な議論の中にある。

間違いの中にある。


「そして、私がそれに気づくと、次に何が起きる?」

私にできることは、まずは、インターネットのニュースのコメント欄を回って発言を集める。

あそこは、プロブレムとレメディの宝庫だから。

(私は、クリーンな質問を考える練習を、ニュースのコメント欄を使ってしています。
素晴らしいプロブレムとレメディ、それから、状況説明が山のようにある。
知覚者と主体があやふやな文章も、決めつけと思い込みも、山のようにある。
あんなに、参考になる発言が集まっている場所は、他にないので、クイズのノリで、コメント欄をみては、クリーンな質問を考えて遊びがてら練習している。)


あとは、テレビをみよう。

ワイドショーとか、口を言い合う番組とかがいいかもしれないな。

日本語を集めよう。そして、それから、私の中の根拠をもう少ししっかりさせるために、PROを細かく復習しよう。

PROを自分の言葉で説明するブログを書けばいいかもしれないな。


うん、そうしよう。


そして私は、「〇〇を改善したい、でも、手がかりが見つからない」という例文を思いついた、クリーン仲間に感謝した。

ああ、コミュニティだ、と思った。

昨夜、私がみたものは、(私の)アウトカムが起きる瞬間だ。


他者の力で。

願いは誰が叶えてくれてもいい。

私はただ、感謝だけする。

そこにいろんな人の笑顔があれば、もう、完璧だ。

そして昨夜、人々はああでもない、こうでないと、クライアントの発言例を分類しながら、楽しそうに笑っていた。


長らく望んだ、アウトカムが起きる瞬間だ。

その瞬間、私は、「え〜、この文章はどういうことよ」という新たな手がかりを手に入れた。


一歩進んで、そして、次。

魔法使いのモデルをベースに、日本語のモデルを考案する。

必要なリソース。

コミュニティ。ある。→発展させる。

議論。ある。→続ける。

知識。あるけど、もっと。→できる。

日本語のサンプル。あるけど、もっと。→できる。


いける、と、私は思った。