サイドストーリー:ペニーの"AND"
私がここしばらく洞察&考察&思考実験し続けている話の裏で、ずっと動いているものがある。
それもまた、翻訳に関わる話だ。
それは、”AND”という単語の翻訳。
クリーンランゲージを使うなら、その一番最初に登場し、そして、最後まで使い続ける単語だ。
"AND"については、一度、マニアックすぎる考察を、すでに書いた。
今取り組んでいる話も、最終的には、同じ場所にまとめて書くつもりでいる。
この一連の流れの中で、私は”AND"が持つ機能について、また一つ学んだ。
なぜかというと、この一連だけではなく、去年の一月からずっと、もう何度も何度も、私の中で私を助けたものがあるからだ。
私が、「英語と日本語の違い」(the difference between English AND Japanese)を考え、煮詰まるたびに、頭の中で聞こえた音があった。
それが、ペニーの"AND”だ。
「たった一語が、クライアントを助け励まし、促し、考えを前に進めることがある」ということを、私は学んだ。
デイビッド・グローブは、セッションの中で、一度も同じANDを使わなかったという話は聞いたことがある。
毎回、発音からトーナリティー(調性)から、節回しからスピードから、ピッチから、何から何まで違ったそうだ。
私が、ANDの訳に一音節の単語を使いたくなかった理由の一つは、そこにもある。
一音節では、表現の豊かさが生み出せない。
音もまた、言葉の重要な要素の一つだ。
ここを気にしているのは多分、私が長い間、ピアノをやっていたこととも関係すると思う。
フェルマータとか、リタルダンド、スラー、リズムとかそういう音の要素が、一音だけでは作れない。そこには、二つ以上の音が必要だ。
そして、ペニーの”AND”には音色がある。
私は、そのとき、ペニーが使った質問は覚えていない。
ただ、私の頭の中には、”And English wing and Japanese wing”(英語の羽根と日本語の羽根)という言葉だけが残った。そして、やがて、それは、”AND”だけになった。
その"AND”はこの一年、関係性を生み出し続けた。
この一年少し、私は、これまで積極的には関わろうとしてこなかった日本語のクリーンなコミュニティに関わろうとし始めた。
英語のクリーンなコミュニティにも関わろうとし始めた。
英語と日本語の翻訳をずいぶん真剣に考え始めた。
そして、その裏で、ずっと私を励まし続けていたのは、ペニーの"AND”だった。
ペニーは、理論の部分はあまり語らないので、ここまでは、私は、質問訳や解釈については、ジェームズとやりとりをしてきた。
今年の初め、全然関係ないところで、一緒にワークを受けたり、少しおしゃべりしたりはあったけれど、私とペニーのシンボリック・モデリングにおける関わりは、セッションをしてもらうだけか、オンライン講義を見るくらいだった。
セッションを受けながら、彼女をモデリングしてきたくらい。
ファシリテーターとしての彼女が発した”AND”が、私を動かし続けた。
今回、自分が、いつものようにジェームズだけにではなく、ペニーにもメールを送ったのは、感謝を伝えたかったからだと、私は気がついた。
たった一言が、クライアントを助け、エンカレッジ(encourage)することがあると、彼女の"AND”から学んだこと(そして、それが自分の翻訳に影響していること)、今、自分が辿り着こうとしている場所は、その"AND”のおかげだということを伝えたかったからだと気づいた。
本当にすごいのだ。
たった一言、たった一語。
"AND"のたった一語が、私を止めなかった。
前に進め続けた。
関係性を生み出し続けた。
それが、裏でずっと動いていたもの。
これを例えるなら、なんだろう。
何かな。
ペニーの"AND”としか言いようがない(笑)
同じものを、日本語の「そして」はできるか、否か?
そして、と、そうして、を上手に混ぜ込むのもいいかもしれないですね。
ペニーは、「そうして」も言ってる気がする。
ジェームズは、"And"の代わりに”So”ってよく言うしな。
ああ、"And”もまだまだ考える余地がある、と、私は気づいたのでした。
ともかく、裏で同時に動いてきたものは、ペニーの"AND”
魔法の呪文は、当たり前の単語の中に。
神は小さきところに宿る。
丁寧に言わなきゃな、「そして」