追記の追記あり。形のロジックいいましても、形がないことがあるのが、ジャパニーズ。

アテンション・プリーズ。

この一連の話をお楽しみいただくコツは、「この話が進行中の議論と推論と実験」だということを、頭の片隅に置いておいていただくことです。

私がこれを公開している理由は、「自由に考えてお楽しみいただくため」です。
そして、この話の結論は、多分、来年になるんじゃないかと、私は思っています。

そして、一旦結論が出ても、私はきっとまた、何かに気づきます。
そうやって、クリーンランゲージがずっと発展を続けてきたように。
ずうっと、いろんな人が考え続けています。

クリーンランゲージは、「オープンソース」で、誰でも自由に使っていい。
誰でも、自由に考えていい。

そういう類のものだからです。

そして、私が欲しいのは、「自分の国の言葉で使える魔法の呪文」


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話はうまい具合にできていて、私が現在、翻訳しているのは、「形のロジック」についてだ。
InsideCleanだ。
(これ、シンボリック・モデリングを使う人は、シーズン4だけでも、まじで見た方がいいと思います。1、2、3も面白かったけど、シーズン4は頭に入れておいた方がいいと思います。ちなみに、シーズン4だけ、自由に誰に連絡することもなく使える日本語の無料資料がオンライン上にあります。)


そして、その中で、私は気づいた。

今度は、セルフ問題だ。


これは、日本人でしかほぼ登場しない回答パターンがある。

「そのXに大きさや形はありますか?」という質問に対して、「形はない」と答えるパターン。

手で形を作っていても、「無い」という。
知覚していても、「無い」という。

形がないので、「わからない」と答える頻度も割とある。
形がないものを見るのはなかなかに難しいものだ。
「感じる」と「見る」はちょっと違う。

何かを感じている、「何となく」感じている、でも、言語化は難しい。


(こういう時は、「そして、Xに形が無い時、あなたはそれがどうやってわかるの?」というソース(源/出どころ)を確認する質問が使えます。すると、知覚者は大体わかる。しかし、早い段階だと、それにも「何となく」という答えが返ってくるので、その場合は、「その何となくは、どこにありますか?」と場所を尋ねるとわかります。または、「その何となくは、どういう何となく?」と尋ねること。このとき、注意は、「どのあたり」とは尋ねないこと。「他に何かありますか?」とは尋ねないこと。なぜかというと、すでにぼやんとしているものに、範囲の広い問いかけをすると、さらにぼやんとするから。)


それから、やたらめったら、空気に光に宇宙に、「それは境界線がありますか?」というもので満ち溢れたシンボルたちが登場する。

綺麗なんですよね。
とか、話はそういうことではありません。


しかし、サイコ・アクティブな状態が進むか、数回セッションを続けるかすると、やがて、その人たちも、「形」を答え始め、自分が感じているものを言語化できるようになってくる。

これは何を意味するかというと、「言語化できるもの」は「他人に伝えられるもの」
望みを叶えるのに、その望みが個人の内面で完結することでなければ、自分で自分の望みを把握して、その望みが言語化できることは、とても大事です。

「喉渇いたなあ」というとき、飲み物が何でもいいのか、それとも、何か特定の飲みたいものがあるのか、それがはっきりできている方が人生の満足度は高くなります。
もちろん、砂漠の真ん中にいるのであれば、「水」一択だし、それで満足できるでしょうが、おそらくは、現代日本社会に居住している人が、非常時でない時に、水一択で深い喜びを感じられるパターンは少ないと思うんですね。

コーヒーが飲みたい、紅茶が飲みたい、炭酸水が飲みたい、赤ワインが飲みたい。
細かく言語化するのは、「何か飲み物」から、コーヒー、紅茶、炭酸水、赤ワイン、へと変化させるようなものです。
そして、コーヒーが飲みたい人と、赤ワインが飲みたい人は、飲んだ後に起きて欲しいことがおそらく異なります。その「起きて欲しいこと」を起こすためには、「何か飲み物」ではちょっと他の人が相互作用しにくいですし、行くべき場所にも辿り着きにくい。
そりゃたまには、コーヒーと赤ワインのどちらもをおいている店もあるけれど。


それを誰が知覚していらっしゃるのかというと、ご本人の好みは、もう、ご本人しかわからんばいという感じで。
そして、クリーンランゲージで作っていくのは、その人の好みに合う世界。


これ、もしかしたら、知覚者が、「you」のケースで起きているんじゃないかと、私はふと思った。

クライアントの自己(セルフ)だ。


サイコ・アクティブな状態が進むと、その人は、メタ認知で話せるようになることが多い。人によるけど。そして、奥に隠れたその人の自己が何もしないでもそっと姿を表すことも多い。
セッションが進むと、「わからない」は本当にわからない時、「ない」は本当にない時にしか登場しなくなる。


初期に登場するない、わからないは、それを表現する言葉がない、それを表現する言葉がわからないだけのことも多々ある。


つまりは、自分の望みや感じていることを、言語化できないだけの場合が多々ある。

多分、したことがないだけの場合も多々ある。

したことがない理由はさまざま。

単にその人が言語化に価値を認めてないだけの場合もあるが、割と多いのは、「これまで誰も、その人にその人の望みを尋ねたことがない」場合だ。


私は、クリーンランゲージは、これだけでも価値があると思っている。

その人の望みを問いかけること。

好きな世界を問いかけること。


セッション初期は、日本人の人が相手の場合は「ない」はもう珍しくも何ともない。
最初は、ええん、どうやってシンボルを作りますか?と泣きそうだったけど。

覚えておいたら便利です。

「形がない」とクライアントさんが答えたら、「そして、Xに形がない時、あなたはXがあるとどのようにしてわかりますか/知りますか?」(わかりますか?の方が、反応がいいことが多いです。元の単語はknowなので、わかる、は訳として問題ないです)

それでも「何となく」とクライアントさんが答えたら、「その何となくは、どこにありますか?」または、「その何となくは、どんな何となくですか?」

この時、忘れてはいけないのは、「今、自分がこの質問をしているのは、Xに形を生み出して、クライアントさんの体に身体化させるため」ということをしっかりと覚えておくことです。


ちなみに、「場所」を何回か重ねて尋ねることで、「ない」は割りに回避できます。
これは、シンボリック・モデリングのスタンダードなやり方ではありませんが、クリーンランゲージのモデルには、このやり方もあります。
アセスメントの時は、これをやると、シンボリック・モデリングじゃないと落とされます。(ジェームズに!笑)
でも、クリーンランゲージではあります。

ですから、一応、ここには書かないで起きますが、3回続けて、場所を問いかけます。
それだけで、シンボル名が出てくることは割とあります。(・・・書いとるやないか。)



となりますと、私は、はっきり答えを出す前に、InsideCleanの次回を見た方がいいな、と思った。

次回のテーマは、まさに「知覚者のロジック」がテーマだ。

うん。それがいいね。


当たり前は当たり前じゃないのよ、ということだけ、頭においておこう。



追記。


もしかして、知覚者がyouで、こっちがyouについて問いかけてないから、クライアントは質問に正しく答えて、「ない」「わからない」と答えている可能性があるな、と気づいた。


再び追記。

Xに形や大きさはありますか?
そのXはどこにありますか/どのあたりにありますか?

「ない」「わからない」

そして、そのXがない/わからないとき、そのXがあることをあなたに教えるものは何ですか?

(知覚者の確認の質問)


この質問はいけるか?

運がよければ、「私」も拾えるのではないか?