新しい単語を覚えた話を書こうとしたら、余談で終わった話。

つい先日、毎月1回、第一土曜日にある勉強会に参加していた時のこと。
この日はイレギュラーで、主催者はおやすみで、代わりの人がZoomを開く係でした。

ところで、今月からは新しいお題で、それはこれ↓


「(クライアントに)問いかける質問を、自分はどのように知るのか?」

InsideCleanのシーズン1です。

このシーズンは、クリーンランゲージを習いはじめたばかりの人も対象にしています。


基本を細かく解説してくれます。
今、紹介するホームページをチェックしてきましたが、大体の内容は、Googleの自動翻訳でカバーできます。

今回も、私は翻訳担当です。
この翻訳はオープンにはシェアできないので、勉強会内部でシェアしています。

ワークショップの内容は、自動翻訳ではだいぶ厳しいので、もし、個人で学習される方がおられたら、クリーン実験室あてに、講座を購入したレシートの画像のコピーを添付してメールを送っていただけば、翻訳を読めるページのパスワードをお送りしますので、ご希望の方がおられたらメールでご連絡ください。


「もっと直感的にセッションを、楽しんでファシリテーションできるようになるため」の内容がぎゅぎゅっと詰まったシーズンです。


余談ですが、この「〜をどのように知るか?」という質問は、知らない人もまた多いけれど、多用されることもまた多いクリーンな質問の一つです。

原文は、How do you know〜?


便利です。

例えば、「なんとなく、わかるんですよね」とクライアントが言った時。

例えば、「メタファーやシンボルに形がない、触れない、感じない(もしくは透明とか)、でも、それがあるのはわかる」とか「そうだと言うことは知っている」とクライアントが言った時。

「そして、〜の時、あなたはどのようにそれを知りますか?」


例えば、「あなたは何が起きれば好いのでしょう?」とクライアントに問いかけた時。

そういうとき、「そして、[クライアントの望み]があるということを、あなたはどのように知りますか?」


それから、私は自分自身にも、よく使います。

「私は、どのように、何かを知っているのか?」

すると、その時、その何かに必要な記憶がたぐり寄せられるのです。
便利です。


・・・・・

さらに余談ですけど。

この質問は、専門的な質問に分類され、源泉(ソース)や知覚者を探るときや、エマージェント・ナレッジ(この場合は、その人の中にある知恵で言語化できていないものを引っ張り出したい)時、文脈に適合するときに使用する質問のため、最初には習いません。

でも、日本語話者の人のメタファーやシンボルは、形がないことが頻繁にあるので、最初から覚えておくと便利かもしれません。

シンボリック・モデリングはモデリングするのに「カタチ」を必要とします。
なぜなら、シンボルをモデリングするからで、シンボルって形があります。
シンボルは象徴です。

形がなければ、それはメタファーの状態。

だから、言葉をシンボル化したいのですね。
つまり、言葉を形にしたいのですね。

つまり、「見えないものを見えるようにしたい」のです。
まあ、バーチャルにですが。

けれど、流れるような曖昧な言葉である日本語を使う、自と他の区別をあまりはっきりつけない日本文化の中で生まれ育ったネイティブな日本人の人のメタファーは、形がない、見えない、区切りがないもののことが多々あります。

「見えない、触れない、形はない、でもある」という「空気」みたいなメタファーがたくさんあるのです。

普通の言葉でいうと、「雰囲気」とかですね。あと、「世間」とか。
「みんな」もある。
むっちゃ多いです。

「なんとなく」、これもむっちゃ多い。

文字をよく見れば、雰囲気の真ん中には、「囲む」という文字があり、世間は「間」であり、必ず区切りは形がどこかにあるはずなのですが、それを意識しないで生きていると思うのですよね。大体、普通。

さらに、これは経験的に、日本人に多いですが、人によっては、自分と世界の区切りがないこともあります。
これは、文化の宗教的なバックボーンが、神道と仏教に寄るところが大きいんじゃないかなと推測しています。
共感だけが人助けの方法ではありませんが、これを好きな方が多い印象があります。

これも、自分と他人の区別をつけるのが「好きではない」人が多い影響もあるのかなと思っています。

(そして、共感を上手にするためにも、他人と自分の区別ははっきりつける必要があります。でなければ、それが、「誰の感情なのか」がわからないから。他人の感情を自分のものにしてしまうことを共感とは言わないからです。「あたかも」自分の感情であるかのように、共に感じることを共感というというのが、私の理解です。)

これはいいところでもあるし、それが自分の人生を考える時には邪魔になることもある。


というわけで、そういうクライアントさんは頻繁にいます。
でもですね、「本当は」、区切りはちゃんとある。
形もちゃんとある。

個別化する作業をすれば、それは、ちゃんと個別に分かれます。
これまでのところ、100%、個別化できて、形になり、「なんとなく」や「形なきもの」は、その人独自の個性をもつことができます。


そのきっかけを作ってくれる質問が、「そして、あなたは〜をどのように知りますか?」だったことが非常に多いです。

というわけでついでにご紹介。


ああ、思いつくままにだらだら書いていたら、余談が長くなってしまった・・・。
いつもですけども(笑)

そのうち、ちゃんと「順番に」話が並ぶ日がやがて来ると思います。
そうあって欲しい!(笑)


私が書きたかったのは、その日、いつもより参加者が少なく、主催者さんもおやすみで、放し飼い状態になった私を含めた3人が、その日、わちゃわちゃ話していた中で、私が新しく覚えた英単語のことだったのですが、長くなっちゃったから、ここでおしまいにしようか、どうしようか・・・。


・・・終わりにしましょう(笑)