DAY2: 空項。シンボリック・モデリングのトレーナーになるまで
日本語で、子供の頃から日本語を使い、日本社会の中で育つか生活している人にファシリテーションする時には、最初から覚えておいた方がいい質問について書きます。
その人の国籍は関係ありません。
その人が思考するときに影響している言語構造が日本語、その人が背景として持っている環境が日本社会の場合です。
先に少し背景を説明します。
私がこれまで「日本語のための(FOR JAPANESE LANGUAGE)」クリーンランゲージという表現を使っても、「日本人のための(FOR JAPANESE PEOPLE)」クリーンランゲージという表現を使わなかったのには、理由が2つあります。
それは、どちらもシンプルな理由です。
ひとつ。
私は、日本人ではない日本語で思考する人たちを、何人も知っていたからです。
例えば、在日韓国人の人たち。
例えば、華僑の人たち。
私の育った環境には、生まれてから一度も、韓国にも中国にも行ったことがないそれらの人たちが、たくさんいました。
私がよく覚えているのは、私が高校生のときの休み時間のある日の会話です。
リーリーちゃんという目がクリクリして美人な友達がいました。
リーリーちゃんは言いました。
「お父さんとお母さんが、最近、中国語学校に通い始めたの。」
は?とその場にいた全員が言いました。
「なんで、中国人が中国語を習いにいくん?」
リーリーちゃんは、「お父さんとお母さんは、中国語が話されへん。これはやばい!ってなって、私には小さな頃から中国語学校に行かせたから、私は中国語が話せるねんけど。」
そして、みんな、大笑いになりました。
「がんばれ、お父さん、お母さん。」
リーリーちゃんの国籍は、中国でした。
けれど、中国語を話せないお父さんとお母さんに育てられたリーリーちゃんは、日本語で思考していました。
もちろん、彼女が育ったのは日本の社会環境です。
そういう子には、何人も会いました。
もしも、私が、「日本人のための」クリーンランゲージと言ったなら、たくさんのリーリーちゃん達は、どんな気分になるだろう?
そのフレームに入りきらない自分の事ことを。
また在日韓国人の人は、かなりの人数が日本で生まれ、日本で育っています。
そして、自分の国籍が韓国であることを隠して暮らしている人がよくいます。
なぜその人のアイデンティティである自分のルーツを隠さなくてはいけないのか、それは、私にとっては悲しい現実ですが、日本には差別が存在するという現実が理由です。
私が暮らす関西は、在日韓国人の人が多い地域でもあります。
在日韓国人の人は、韓国系アメリカ人とは異なります。
日本には、韓国系日本人になる方法がありません。
戸籍法の違いからです。
日本では、二重国籍も許可されていません。
若い在日韓国人の人たちの中には、生まれてから一度も韓国には行ったことがなく、その人の両親も韓国語が話せない人も多いです。
セッションのクライアントさんにもいます。
彼らの頭の中は、完璧に日本語のみの思考です。
彼らは日本を母国だと認識しています。
彼らには母国が2つあります。
ただし、彼らの国籍は韓国人で、彼らは韓国人です。
私が、「日本人のための」クリーンランゲージと言ったら、彼らはどんなに悲しい気分になるだろう。
共に生きる仲間なのに。
ちなみに、私が知る限り、アメリカ国籍を持つ人で、日本語でクリーンランゲージをファシリテーションしている人がすでにいます。
それから、ニュージーランドで、そこに住む日本人のために、日本語のクリーンな質問を覚えようとしているニュージーランド人がいます。
彼らは日本人ではありません。
けれど、クリーンコミュニティの中の仲間です。
日本語のクリーンランゲージを使う仲間です。
日本語、ならば、それは単なる言語構造を表す概念で、単なる道具です。
共通認識がある文法を持ち、単語には辞書があり、定義があります。
それは、国籍がどこであろうが同じです。
もう一つ。
こちらは、クリーンランゲージの定義に関わる理由です。
日本人、には、以下の質問が成立します。
「そして、それは、どんな日本人?」
「その人個人がこれまでに出会った日本人」が、そこに影響します。
例えば、ジェームズがある時、メールに興味深いことを書いていました。
「日本人はワンピースの上に、ワンピースを重ねて着るのが好きだよね。」
私は、ワンピースの上に、ワンピースを重ねては着ません。けれど、私は日本人です。
みなさんが出会った日本人と、私が出会った日本人、各々がこれまでの人生の中で日本人との間で経験したこと、そういうものが、「その人の日本人観」に影響します。
私にも「日本人ってこんな感じ」という感覚はあります。
そしてそれは、私の持ち物です。
クリーンランゲージで大事にする必要があるのは、クライアントの持ち物であって、ファシリテーターの持ち物ではありません。
つまり、私の考えでは、「日本人(Japanese people)のためのクリーンランゲージ」は、クリーンランゲージの定義上、成立しません。
クリーンランゲージは、前提条件をできるだけ少なくする技法です。
使用言語という前提は、技法の効果を高くするために入れざるを得ません。
そうでないと技法が最高の状態で機能しないからです。
けれど、日本人(JAPANESE PEOPLE)という前提は、私の考えでは不必要な前提です。
先に書いたように、共に生きているのに、排除される人が登場する前提でもあります。
ただでさえ、ナショナルアイデンティティを2つ抱えて生きる大変さと向き合っている人たちを、日本語のクリーンランゲージの世界から排除することを、私は好みません。
だから、私は、「日本人のための」クリーンランゲージは一切考えてきませんでした。
私が考え続けたのは、そして、今も考え続けているのは「日本語を使ったクリーンランゲージ」です。
私は、誰かが、「日本人のためのクリーンランゲージ」を使うことは、否定しません。
そのクリーンランゲージが必要な人もいるだろうと思います。
人が必要とするものは様々です。
人が伝えたいものも様々です。
日本人しかいない環境下で生きてきて、これからも生きていく稀な人も、たまにはいると思います。
けれど、「イギリス人のためのクリーンランゲージ」「アメリカ人のためのクリーンランゲージ」を私は習いませんでした。
私は、「英語の」クリーンランゲージ、を習いました。
そして、英語のクリーンランゲージの世界は、私の国籍で、私を排除しようとはしませんでした。
そこは踏襲したいと思います。
私が教えるのは、私がシェアするのは、「日本語を使ったクリーンランゲージ」。
細かなことではありますが、全てを始める前に、私の立場をはっきりさせておく必要があるので、私が「日本人(JAPANESE PEOPLE)のためのクリーンランゲージ」を、今後も一切考えるつもりがないし、自分が教えるときも、「ファシリテーター、クライアント、両者の国籍が日本であること」という前提はおかないということを、ここに書いておきたいと思います。
私の国籍は日本ですが、私は英語でもクリーンランゲージのファシリテーションができます。
なぜならば、それは、アメリカ人のためのクリーンランゲージでもなければ、イギリス人のためのクリーンランゲージでもないからです。
そもそも、クリーンな質問を生み出したのはニュージーランド人です。
英語でクリーンランゲージをファシリテーションする人々の国籍は、実に様々です。
みな、一緒に学んでいます。
それぞれが、自分の国に、クリーンランゲージを持って帰ります。
けれど、「何国人のためのクリーンランゲージ」と国籍で分ける言葉を、私は聞いたことがありません。
.....
それが、私の答えです。
そして、私が、あなたが、何度私に連絡してきても、あなたに会おうとしなかった理由です。
お互い自由にやればいい、と、私は考えていたからです。
意見の違いをすり合わせる必要はありません。
違いは違いのままで構わない。
世界観は同じである必要がありません。
違いに上下はありません。
ただ、違うだけです。
それが、私がこの数年習ったことです。
そして、私もまた、あなたが蒔いた種のひとつです。
私たちの違いはやがて、「選択肢が増える」、という日本語のクリーンコミュニティの豊かさにつながると、共に発展していけると、私は信じています。
みんなが同じことを語るなんて、不気味です。それが、あなたの意図ではなかったこと、あなたはそんなことを望まないことを、私は知っています。
ただ、周囲が勝手に、忖度しているだけだということ。
あなたと同じようにやらなければ「ならない」と思いこんでいること。
だから、私は、あなたと違うことを語ります。
それが、あなたのことも助けることになるだろうと、私は思うからです。
私があなたのためにできるサポートは、多様性を、コミュニティにもたらすことです。
今後もあなたにお会いする予定は、今のところありませんが、あなたに足を向けて寝ないようにすることを、お約束します!
そして、私は、あなたと違うことを語ります。
それこそが、クリーン、です。
.....
さて。
最初に書いた質問です。
いくつかありますが、今日は一つだけ。
「あなたは、〜を、どのように知るのでしょう?」
もしくは
「あなたは、〜を、どうやってわかるの?」
原文は、
HOW DO YOU KNOW〜?
この質問は、クリーンな質問では数少ない「あなた」という言葉が含まれる質問です。
クライアントの注意を、その人自身に誘います。
もとの使用法以外に、日本語でのファシリテーションでは、追加の働きをしてくれます。
日本語には空項があります。
空項は、省略されている言葉です。
特に多いのが一人称の主語の省略です。
それが何を引き起こすかというと、ときに、メタファー・ランドスケープに必要なシンボルが欠けた状態を引き起こします。
全てのシンボルは、「私」から生まれます。
メタファー・ランドスケープを生み出しているのは「私」です。
言葉としての「私」をシンボル化する必要は必ずしもありません。
必ずしも、言葉としての「私」が必要なわけでもありません。
クライアントの動作主体(agent)は、あってもなくても構いません。
ただ、ファシリテーターが「私」を刺激して、メタファー・ランドスケープの発展をサポートする必要はあります。
そうすれば、足りないシンボルが現れることは防げます。
これは、英語話者の人たちは気づいていませんが、英語でのファシリテーションでは、最初から最後まで行われ続けています。
セッション中、ファシリテーターが何回、「you」や「your」と言うことやら。
私は途中で数えるのをやめましたが、興味がある人は、英語のセッション記録を見つけて、「あなた」「あなたの」とファシリテーターが何回言うか、数えてみてください。
この質問は、一人称の空項(省略されている言葉)の自然な発露を誘います。
一度でいい、「私」と、クライアントが言ってくれれば、ファシリテーターは、よりクリーンに、身体化をよりサポートすることができます。
私、自分、僕、もしくは、自分を指差す、なんでもいいです。
一度でいい。
(一人称が手に入れば、ファシリテーターは、「あなた」だけではなく、「あなたの」も使えるようになります。私の経験では、身体の部位を示すときは、確実に「あなたの胸」の方が、ただの「胸」より身体化の効果や、サイコアクティブの促進に効果的です。)
もし一人称が登場しなくても、その質問は、ファシリテーターを多いに助け、クライアントが意識を自分に向けるのをサポートすることができます。
語順は入れ替え可能です。
みなさんが使うのは、日本語です。
日本語の大きな特徴の一つは、語順の入れ替えが可能だということです。
だから、語順は、そのときの文脈に必要なように合わせてください。
よりあなたの目の前にいるクライアントをサポートするのに効果的なように、死ぬほどあなたの論理的推論と、知識から来るあなたの直感を使ってください。
あなたが日本語ネイティブなのであれば、語順の入れ替えは簡単に可能なはずです。
いつも自然にやっていることだから。
いろんな質問を、いろんな語順で練習してみてください。
そして、語順の違いによって、何が起きるか見てみてください。
あなたがクライアントの注意を誘いたい場所に誘えるように。
語順は、割と大きな要素です。
パズルみたいです。
きっと楽しいと思います。
英語の質問表では、基本の質問にはこれは含まれていません。
基礎しか習っていなければ、この質問を知らない人も時々います。
ただ、日本語でファシリテーションする人は、最初に覚える必要がある質問のひとつだと思います。
「あなた」が入っている貴重な質問です。
もっと詳しくは、そのうち、どこかに書くか喋るかします。