DAY22:日本語における時間と空間。「KAN(or MA)」と「WHEN」

私が、クリーンランゲージは日本社会には合うだろうなあ・・・と思っている、そして、技法そのものは、言葉の扱い以外はそのまま使えると判断している理由の一つは、それが、時間を空間として扱うからです。
非常に空間的な技法なのですね、クリーンランゲージは。

時間を空間として扱う、これは、おそらくは、西洋圏に暮らす英語話者の人たちには新鮮な感覚なんでしょうが、日本語話者にとっては、そちらが自然です。
時間と空間は、英語だと「TIME AND SPACE」と完全に異なる単語ですが、日本語だと、どちらも、そもそも、どちらも同じ漢字「間(SPACE)」を含んでいます。

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ちょっと、英語でこのブログを読んでいる方のために、解説を追加しておきますと、以下のようになります。

時間:JIーKAN

空間:KUーKAN

KANはどちらも「SPACE」を意味します。
日本語において、そもそも、時間は、非常に空間的なものです。

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そして、これは、翻訳をしていて気づきました。
英語話者の著者の皆さんが「SPACE」と原文に書いているところを、「空間」と翻訳すると、日本語としては不自然な響きになるなあ・・・と感じることがちょいちょいあったのです。

けれど、そこを「時間」に置き換えてみると、スッキリする。


それからもう一つ、これは質問を使っていて気づきました。
私以外にも、同じことをしているシンボリック・モデリングのファシリテーターは何人かいます。
実際に使用する中で、みな、そこに自然に辿り着きました。
私もそうです。

それは、クリーンな質問の構文の2シンタックスめの扱いです。

「そして、〜の時(And when...)」の「〜の時(when)」の部分。

私が、この「TOKI」という音が耳残りするというフィードバックを最初に見つけたのは、9年くらい前のことになります。
それは、一つだけではありませんでした。

それは自分に対してのフィードバックではありませんでしたが、「耳残りする」というフィードバックをインターネット上で何度か見たこともありますし、私の目の前でも、それは起こりました。

セッション中、私のクライアントが何人も、私が質問した後に考えるときに、「〜の時」とつぶやいていたのです。

「耳残りする」というのは、クリーンな質問にとっては、非常に手痛いフィードバックです。
とにもかくにも、質問は、残ってほしくないわけです。
クリーンランゲージの場合は。

「時」というのは、こちらから導入している時間のメタファーを表す言葉で、つまり、言葉が残っているなら、それが、クライアントのメタファー・ランドスケープに介入しているということを意味するからです。


クリーンランゲージの構文の中で、「WHEN」が果たしている役割は、「時間を止めること」です。場の設定をしています。何の関係性の中で、次に質問するものを考えてみるのかを表しています。

だが、まあ、しかし、語順の関係で、そもそも、「〜の時」が登場する時には、日本語では時間は動いちゃってますども。

などと、色々と考えることが続いた挙句、そうだ、時間は空間だという日本語の特徴に、頭が及び、そうして、私は、「何も言わない」で「時間的に間をとる」ことで、「WHEN」の効果を引き出そうとし始めました。

頭には、「LESS IS MORE」(少ない方がより多い)という、シンボリック・モデリングの根っこにある考え方も影響しました。

シンボリック・モデリングには、「ファシリテーターがやることは少なければ少ないほどいい」という考え方がございます。

それで、「やることを減らす分には問題ない」という判断に至りました。
ちなみに、現在まで、私は、これを英語で説明する技量がなかったため、私がこのことを英語で説明したことはありません。
感覚的な違いは、説明が一番難しいです。

ただ、シンボリック・モデリングを開発し続ける人たちは、「機能」だけを追求する姿勢がはっきりしていますので、機能的には問題ないので、確認しなくてもまあ大丈夫であろうという自信はありました。


そうして、「時」という言葉を、言語として翻訳するのではなく、「空間として非言語で翻訳する」ことにした結果、クライアントの反応は非常によくなりました。

その後、何人かのファシリテーターは同じことをやっているということがわかりました。

ちなみに、これは、言葉と言葉をつなぐ時の「AND」についても、同じことをする時があります。日本語だと、音がうるさい時があるからです。
そして、これも、同じことをやっている人たちがいるということがわかりました。



私が現在、もう一つ、使っている方法は、「〜」の部分が長いときは、「その時(WHEN)」とくくり直すというやり方です。「今から質問する内容の関係する場面は、今、私が言った前の部分全部を含むよ」ということが、クライアントにわかるようにです。

それから、なるべく、「〜」の部分を短くする工夫はしています。
リキャップも、短いものを、細かめに入れるようにしています。

これは、理由があって、英語と違うのは、日本語は流れていくので、あまり一文が長い文章は大変なんですね。
普段、日本語で会話している人たちは、長い文章を聞き慣れていないはずなので、クライアントに負荷がかかっちゃうと思うんですね。
それは、私の意図しないところなので。

セッションを始める前に、クライアントに少し話をさせてみて、その人の一文がどの程度の長さかは確認するようにはしています。
たまに長い人もいて、そういう人は、「〜」の部分が長くても問題はないです。
すごく短い人もいます。そういう人には、もう、「〜」はすごく短いし、単語で区切っていくことにしています。

「〜」の部分を少し工夫するだけで、クライアントの反応はものすごく変わります。


ここから少し、話が逸れます。


逆を言うと、クリーンランゲージを使うときは、テクニックとしての共感が利用できないので、そういう部分で、いかに相手に寄り添えるかというくらいしか、私にできることがないのですね。

逆に、すごく細かいところにまで気を遣える余裕があるとも言えますが。

相手のやり方にどこまで合わせられるか、クライアントに、どこまでついていけるか。
自分のやり方をどこまで捨てられるか。

セッションは、こちら側はほとんどゲームの状態です。
あってる?当たってる?


(あそび心は、クリーンランゲージを使うのであれば、むっちゃ必要だと思います。)


・・・とは言いましても、私がこれらにまで気が回るようになったのは、この2、3年の話です。私の頭が自由に動くようになったのが、この2、3年だからです。

多分、この2、3年より前に私がしたセッションは、また少し別だったのではないかと思います。



そして、また、私は、セッションを仕事にしていて、主にはシンボリック・モデリングを使ってセッションしていますので(理由は、私のクライアントのニーズに合っているからと、効果が高いからと、自分が楽しいから)ここまで時間をかけて、細かいことを追求していますが、シンボリック・モデリングは、「日常でも使える」というのが開発意図に含まれています。

そのように考えた時、では、どのようにすればいいのだろう?というのが、現在、私の頭の中にあります。

一つ、すでに出ている結論は、日常では、3シンタックスはいらないよ、ということで、ただ、クリーンな質問だけを使えばそれでいいということです。
これは、身内を使って数年間、実験し続けた結果、そういう結論に至りました。

そして、また、ワークショップや講習会には、どちらもの人が来るよなあ・・・・というのが、現在の私の頭の中にあります。
どうやれば、いいのかな?


そこに、どのような時間と空間があれば、ニーズがさまざまな人の学ぶに寄り添えるのかな?


私の中の空間が、少し、広がろうとしている気配は感じています。