DAY6: 「わからない」と「気づく喜び」
私は現在、 「わからないを楽しもう」と銘打った、PR2Oフェスティバルを走らせている最中。
「はじめてみよう、そして何が起きるか見てみよう」という言葉を聞いた数日後には、そもそも、私は「はじめてみる」予定を入れていたということ。
その直前に、長い長い眠りについていたメタファーがお目覚めになったということ。
実によくできた話。
メタファーって賢い!
そして、私が一つ学んだことは、「無理矢理メタファーにしちゃいけないんだな〜」ということ。
そして、しようとしても、メタファーにはメタファーのタイミングというものがあり、そのメタファーにとって全ての条件が整った時、そのメタファーは現れるのだな、ということ。
必要な時に。
とても大きな、とても大事なことを、今の一連の流れから私は学んでいる気がします。
そうして、その流れを、「私がクリーンランゲージがわからなかった頃のことを知っている仲間」と一緒に体験できるのは、もう、とても幸せなことだなと思っています。
私が「わからない」を楽しめた一つの理由は、この人たちの存在があったからというのも大きいです。
それから、今、一緒に勉強している仲間の存在。
この人たちの存在も大きいです。
PR2Oフェスティバルが、運営上、安全かどうか、効果があるかどうかは、この人たちが体験参加者をしてくれ、フィードバックをくれました。感謝します。
一つ、私のおすすめがあるとするならば、クリーンランゲージやシンボリック・モデリングを学ぶ人は、その中で、友達や仲間を作って、ディスカッションすること。
遠慮せずに、「自分はこう思う」と話せる友達や仲間を作ること。
できれば、自分とは違う考え方をする人が、尚、いいでしょう!
「わかる、わかる〜!」と自分と同意見の友達は、プライベートで作るといいと思います。
もう、自分と意見が違えば違うほど、クリーンランゲージやシンボリック・モデリングの仲間は価値があります。
その違いから、学ぶことができるからです。
そして、クリーンランゲージやシンボリック・モデリング、特にシンボリック・モデリングは、「自分の理解」を他者に対して言語化することそのものが、学習をサポートします。
「自分と他人の理解は違うこと」
「自分が気づいていなかったこと」
「新しい視点」
そういうことは、自分一人でいくら考え続けても知り得ないことです。
そして、できれば、メタファーを使って、自分の理解を話してみると、なお、練習になるでしょう!
それから、「自分には許容できない他人の理解」
これに対して、「ああ、違うねえ」とただ違いを認識できるようになることも必要です。
私自身は、そもそもは非常に適当な人間ですが、クリーンランゲージに関しては、これにかなりの時間を要しました。
どうしても自分が許容できないことを「単なる違い」として許容できるようになるまでに。
時にその許容できないことは、自分の人生における価値観の根底に関わることだったりもしますしね。
でも、そういうことをクライアントがいうこともあるわけです。実際。
クライアントに自分と同じ価値観を押し付ける訳にはいきません。
そして、一人の人間の中に、そういう2つの部分があることも、実際にあるわけです。
自分の中に相入れない矛盾した要素のどちらもが存在すること。
そうして動けなくなることもあるのです。
本当に。(専門用語がありますが、今日はそれは書くのをやめます。)
アメリカでクリーンランゲージのトレーニングをしているジーナ・キャンベルが、来日してワークショップをしてくれた際に、「クリーンランゲージは寛容の技法だ」と言っていました。
私は、この意味が、最近、ようやくわかるようになりました。
さて。
クリーンランゲージの学習には、仲間を作ってディスカッションがおすすめよ!と言いましても・・・。
これを、海外のワークショップでは、ディスカッションという形で学習することが多いのですが、なにぶん、ねえ、日本で教育を受けた人たちは、ディスカッションの練習は・・・していませんね。
たまにはいるかもしれませんが、大多数は、「静かに大人しく聞いていること」をよしとする教育システムの中で育ったのではないかと思います。
それで、最初は、ディスカッションには抵抗があるひとも多いと思うのです。
でも、先生が見ていないところで、仲間や友達となら、それは可能ですね。
意見の違いを面白がることもできる。
慣れてくれば、日本人同士でもそれはできるようになる、「正解のない会話」を続けられるようになるというのは、私は勉強会で経験済み。
自分がしている大阪の勉強会と、それから、InsideCleanの勉強会とで。
「私はこう考える」「私はこう考える」というのを、それこそPROを使ってディスカッションした時などは、もう、笑いまみれになります。
非常に楽しいです。
なんで、そんな理解になるのや!と、大笑いになります。
理解に、正解も不正解もありはしません。
(たまには、定義の理解とかそういうきちっと覚えておく必要があることもありますけども。アウトカムとプロブレムを間違えてはいけない、とかですね。)
そうしながら、「ああ、こういう解釈もできるのか」「ああ、こういう思考構造もあるのか」と、思考構造のモデルを新しくインプットすることができます。
それは、自分が実際に、シンボリック・モデリングを使ってセッションする時にも役立ちます。
頭の中の枠を広げていくような感じ。
そして、何より、他者とディスカッションすることで、「わからない」ことに慣れます。
この「わからないことに慣れること」は、クリーンランゲージを使うのであれば、大きな要素です。
自分が問いかけた質問に、クライアントが答えてくれるまで、ファシリテーターは「何にも知らない」からです。
たくさんたくさん、「わからない」を経験しておくこと、しかも、わからないことで自分のコンディションが悪くならないで。
どんどん、自分の考えについて、いろんな人からフィードバックをもらうこと。
そういうことが、学習サポートになると思います。
そして、そこには、暖かい雰囲気が必要なので、まずは、友達や仲間を作って、共に学習するとより「わからない」は楽しめるのではないかと思います。
そして、一つ、私が言いたいことは、私の専門はシンボリック・モデリングですが、これを作った人たちは、いまだに「わかった!」と今、気づいたりしてます。
そして、彼ら、そのことに大喜びしています。
25年経っているのに、です。
学び続けている喜びみたいなものに、溢れかえっているトレーナーの人をよくみます。
「わからないこと」があることは、「気づく喜び」もセットであるということです。
私は、その「気づく喜び」を味わうお手伝いもできるようになりたいです。
その人が自分で気づくまで。
ちゃんと黙って待てるようになりたい。
ファシリテーションをするときは、それができるようにはなりましたが、はてさて、ここからは新しい領域です。
でも、私を育ててくれている人たちが、皆、そうしてくれているように。
みんな、私が気づくまで、待ってくれていた。
今も、おそらく、私は気づいていないことがあるような気もするのですが、でも、誰も何も言わない。
私も、そうありたいと思います。
さて、私の説明の練習にお付き合いいただいてありがとうございました。
人にシェアするときしか、頭に浮かばないんです、こういうこと。
目覚めた私のメタファーは、私個人には何一つ、教えるつもりがないようです。
「人にシェアするなら、教えてやろう」と、メタファーのくせに、かなり高飛車です。
このメタファーは、お姫様だから仕方ないですね(笑)