DAY9: 図式。「大事なものは包む」文化。
さあ、日本文化に適用していきますよ!と思った私の頭が、思考を停止しました。
2日ほど。
それで、私は、体が何かしていること、自分が何かを言語化しようと努力していることに気づきました。
私は、今回、PR2Oフェスティバルのために、PROモデルというベースになるプロセスについて、検討し尽くしました。
だから、自分が、おそらくは、それに関わることを言語化しようとしているのだろうとは感じていました。
最初に新しい視点のヒントをくれたのはマリアンでした。
ジェームズが、「君は日本社会についても、日本文化についても知っている。君にはそれがモデリングできるはずだ」と言った言葉も頭を回っていました。
彼の言葉は、この数年、私を思考させ続けてきました。
ただ、彼の思考はとんでもなく速いので、彼が一瞬でたどりつける答えを自分で導き出すためには、私はだいたい、そのあと、数年、それを考えることになります。
PROモデルは、モデルそのものは、日本語話者に機能します。
シンボリック・モデリングも、クリーンランゲージも機能します。
二つとも、素晴らしく機能します。
そのことは、クリーンランゲージのことも、シンボリック・モデリングのことも知らない日本語しか話さない私のクライアントさんたちが、私に見せ続けてくれました。
同時に、私が見たものは、学習したのに理解できないか、理解に苦労しているファシリテーターの人たちです。
上手くなりそうだなと私が感じる人ほど、苦労しているようにも見えました。
先生の教え方ではないことはわかりました。
なぜならば、私は、最初にカリフォルニアに行ったときに、上手いと褒められたからです。
信じられませんけど、あなたのが受けたいと、ご指名が来たんですよ。
その日、ジェームズにペニーに、ジーナがセッションを提供していたのに。
(シャロンが、私がセッションするのに付き添ってくれていました。私が、発展させすぎないように。)
そこに行く手前、私が受けたトレーニングは、日本で最初に行われたトレーニングです。
トレーナーの人が模索中なのは、見ていて、よくわかりました。
後からならわかることに、教える必要があるものをすっ飛ばしたりもしていました。
だから、あえてこういう書き方をするなら、私は、過去最高に、日本で行われた一番ひどいトレーニングを受けたはずだったからです。
でも、私は、覚えたし、それが使えたのです。
だから、話は教え方ではないということだけは、最初からわかっていました。
日本の人、と、人間でもないと思っていました。
さて。
シンボリック・モデリングの図式には特徴があります。
それを考えるときにはペニーも一緒のはずですが、主には、図式化しているのはジェームズのはずです。
そして、これは、ジェームズが、技術者集団の中にいたことが関係していると推測しています。
そして、彼らが英語話者だということです。
いつだったか、彼とのやりとりの中、彼が「Yukariの話を理解するために、自分は、根本的な理解をいくつか捨てる必要があり、それが脳のストレッチにちょうどいい」みたいなことを書いてくれていました。
私は、日本の人を特殊だと感じたことはありません。
数年、英語話者の人たちを時々、練習でセッションしましたが、その人たちは、日本のクライアントさんと変わりませんでした。
つまり、一人一人、違ったのです。
人は、一人一人が特殊です。
メタファーは、文化の影響があるのは感じました。
確かに、英語でセッションするときは、日本語でのセッションでは聞いたことがないメタファーは登場しました。
けれど、メタファーの構造そのものは、似たり寄ったりでした。
飛行機は空を飛ぶ、壁にはぶち当たる、道は分かれる。空や地上があり、星は必ず、光る。
地球の重力の中で生きている人に共通の理解が、そこにはありました。
今日の次は、明日。
心の中の時間は行ったり来たり。
それから、文化的な差異もそんなにはないように感じていました。
多少はありました。
アメリカ人と日本人は、背後にあるものが違う、とか。
銃社会の影響を、アメリカ人からは感じました。
まあその程度。
お祭りには、風船や綿菓子。
たまに、謎のお菓子などは登場しましたが、それは、日本語でセッションをしても、謎のガンダム(私はガンダムはよくわかりません)とかを語られたときと同じことでした。
だから、私は、違うとするなら、言語構造に影響を受ける部分だと感じていました。
つまり、クライアントに差があるのではなく、言語によって、ファシリテーターの理解のプロセスに差が出ると、考えていたのです。
クリーンランゲージも、シンボリック・モデリングも、ファシリテーターは、頭で考える必要があるからです。
クライアントの心に寄り添うために、動かす必要があるものは、ファシリテーターの頭だからです。
感じようとしたその瞬間、ファシリテーターは、クライアントの世界に巻き込まれ、次にする質問のクオリティは、確実に下がるはずです。
クライアントが「見えていないもの」を探すのを手伝うのが、ファシリテーターの仕事です。
同じ世界で、同じ目線に立ってしまったら、クライアントに見えないものは、ファシリテーターにも推測できなくなります。
そして、今朝、早く、「包む文化」という単語が浮かびました。
わかった!と、思いました。
私が、何に手を入れる必要があるか。
私が、何を考える必要があるのか。
日本語でのクリーンランゲージやシンボリック・モデリングの学習をサポートするために。
「これ、やってもいいかな」と私の中に少しためらいが浮かびました。
モデルのメタファーを少し触ることになるからです。
そして、「私たちは、メタファーを使って、自分たちの気づきをシェアしてきたのよ」というペニーの言葉が頭に浮かびました。
「私が、ジェームズの真似をしていると思う?」と言ったマリアンの言葉が頭を浮かびました。
そして、それから、私が、自分がやることを「実験、研究、調査、勉強、実践、学習、シェア。それなら、私にできる」と言ったときに、にこりと笑ったジェームズの顔を思いだしました。
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突然ですが、Amazonの梱包が、日本だけ丁寧なのはご存知ですか?
日本には、昔から、大事なものは包むという文化があります。
日本の人は、プレゼントの包み紙の開き方が、丁寧な人も多いです。
日本では、過剰な包装が、ゴミを増やすとたまに問題になります。
けれど、その話は、必ず下火になります。
箱が好きな人も多いです。
それから、日本語の文字は、縦書き用に作られています。
一応確認しましたが、現在も国語の教科書は縦書きだそうです。
つまり、私の頭に浮かんだのは、望みと問題、救済策/回避策の関係性を現す図式を、PROの図式を水平ではない図式にしてみたらどうだろう?と、私の頭に浮かんだのです。
縦方向に話は進む。それから、左上に言って、それから、また上から下に動く。
(未来が前ではなく、左横にあるクライアントは、日本語話者には割とたくさんいます。)
大事なものは包んである。
「小包みを解く」と、デイビッド・グローブは言っていた。
「そして、これらが全てこのよう。そのとき。すると、次に何が起きる?」
果たして、図式は明日に間に合うか?(笑)
まあ、見えてますから、間に合うか。