よいお年を
私の好奇心に、私の恐怖や不安が勝てたことはない。
全敗だ。
恐怖や不安を感じても、例えば、その恐怖や不安そのものにさえ、時に私は好奇心を抱いてしまう。
去年の春の3週間の自主隔離と闘病を支えたものは、他者の温かい気持ちの数々だけではない。
今、振り返ると、そこにはまがうことなき好奇心があった。
ねえ、どうなるの?という。
私は、死後についてさえ、好奇心を抱いている。
若い頃に途中までは見た。
怒られて追い返されてきたが、あの先には、何が待っている?
だから、死そのものは怖くない。
新しい冒険が、そこで自分を待っていると確信しているからだ。
生きている今は、ただ過去になるだけだと。
そして、だから私にとって死は続きの未来でしかなく、だから、今、ちゃんと生きないとと思う。
今はいつでも、未来のためのリソースを作る時間だ。
過去の自分が、今、たびたび私を助けるように、未来の自分を助けるのは、いつでも、今の自分だ。
逆に、恐怖や不安が、好奇心に勝ってくれたなら、しなくて済んだ失敗もたくさんあったなと思う。
私が慎重さに欠けて失敗する時、それは、恐怖や不安がきちんと機能しなかった時だ。
怖がりなのに、不思議なことである。
機能すべきときに、怖がりは機能すればいいのに、今が出番だ!という時に、好奇心に負けるとは、根性のない怖がりである。
守る役目を果たさんかい。
恐怖や不安。
それらは、無用の産物ではない。
もしも、無用の産物ならば、長い長い人類の進化の歴史の中で、なくなったエラやヒレ、尻尾のように、それらも消えたはずだ。
かなりパワフルなままで多くの人の心に残っているそれらには、大事な働きがある。
それを嫌わなければ、価値を認めれば、人は恐怖や不安もリソースにできる。
ほとんど必ず持っているものだからだ。
そことどう付き合うかだけが、違いを生むのだろうと、私はなんとなく思った。
さて、では。
私の場合、どう付き合おう?
自分が恐怖や不安とうまく付き合えていないのは、どんな状況だ?
多分、これは、ストレスコントロールというカタカナの話だろう。
それから、強すぎるリソースとのバランスの話だろう。
あまりにも強すぎるリソースは、時に問題を生む。
長所はいつでも短所になり得る。
だから、長所ばっかり伸ばせばいいというもんでもないとは思う。
調和をもたらすバランスが必要だ。
長所(リソース)そのものに問題はなくても、他の要素との関係性に問題があることは、現実に、多々ある。
本人が長所側の価値のみを高く評価している場合、光の当たらない他の側面が、勝手に暴走して、無意識に何かやらかしていることは珍しくない。
私のこの場合は、好奇心との兼ね合いだろう。
それらをコントロールする大元。
頭ではなく、もっと強い別の場所にある大元。
頭にコントロールさせても、頭は無意識に勝てない。
伸び伸びとしたコントロールをするそこ。
深いとこが元気であることは、大事なんだよと、改めて思った。
そこが疲れ果てた時、ことはややこしい。
やっかいなのは、深いとこは、言葉を喋らないことだ。
それでも、記憶を通じてなら、そこと自分はコンタクトできる。
メタファーは、記憶そのものだ。
さて、来年。
恐怖や不安と好奇心のバランスは、いかに保たれるか?
この好奇心にあたる部分は、人によって様々だろう。
勇気とか愛の人もいるかもね。
こっちの方が、元型的ではあるので、人数が多いだろう。
何を信じ、何を疑い、何に怯え、何に興味を見出し、何に好奇心を感じ、何が勇気を生み出し、何が愛をもたらすか?
それらを把握しておくことは、何か人生に違いを生み出すか、生み出さないか?
さて、どうなんでしょう?
答えはその人のみぞ知る。
未来はその人が作る。
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今年のブログ更新は、ここまでです。
つらつら綴る私の頭の中に、お付き合いありがとうございました。
年末、お忙しい方も多いと思いますが、暖かくしてお過ごしくださいね。
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2022年、その一年があなたにとって最高の状態だとしたら、2022年はあなたにとって何のようでしょう?
そして、2022年がそのようである時、あなた自身は何のようでしょう?
そして、2022年がそのようで、あなたがそのようであると、次に何が起きますか?
そして、2022年がそのようで、あなたがそのようであるために、今、あなたにできることは何でしょう?
そして、そのために、あなたが必要とする手助けや道具、他者や気持ち、そういったサポートやリソースはありますか?
そして、もしも、必要なものがあるならば、それはどこにありますか?
よいお年を。
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セッションは、12/25-1/10まで冬休みを頂きます。
来年も、みなさんの物語の続きを聞かせて頂けるのを楽しみにしています。
本年もご愛顧ありがとうございました。