強さの探究を始めたのは、1月だったということに、さっき気がついた話。
これもドラフトだな。いつか、どこかに書くための。
先日、私は、あるオンライン上の場所で行われた「あなたがクリーンランゲージの何に最初に魅せられたか、あなたの物語を聞かせて?」というプログラムに参加した。参加のいきさつについては、どこかに書いたと思う。
そこで私が語ったことは、昨日書いた(そして、これまでも何度も書いてきた)M先生と私の物語だった。
クリーンランゲージの根底にあることは、私にとっては新しくなかった。先に、私にそれを教えてくれていた人がいたからです。私に最初に心理カウンセリングの手解きをした先生はいつも言っていました。「好き(英語にしたらLOVEになった)は全てを乗り越える」と。
先生の死後、私は、長い時間、「好きは全てを乗り越える」技法を探し続けました。
そして、2016年、私は、カリフォルニアで、”What would you LIKE to have happen?"という質問と出会いました。私が最初に魅せられたのは、”What would you LIKE to have happen?"です。
私は、そう語った。
そして、私は、もう一つ、自分の強さを見つけた。
気が長い(笑)
先生が死んでから、私がクリーンランゲージに出会うまでに、実に、10年以上の時間が経過していた。
ああ、もう一つ強さがあるわ。
望みをあきらめない。かっこよく言うなら、希望を捨てない。望みは叶うと信じてる。
そして、ここまできて、私は、「さて、次のセッション用にメタファー・ランドスケープの絵を描こう」と思った。そして、どこで船を見たんやったかいな・・・と、なんとなく、写真のデータを遡って、そして、見つけた。
望ましいアウトカムの進捗という、私が今年の1月に作成したPDFだ。これは、1月に参加した何回か連続してセッションを受けるワークショップの最後の回の前に、提出する必要があった課題だ。
今、私がやっている作業は、この続きだと、私は理解した。もっというなら、私はこの一年、ずうっとこれをやってきたのだろう。自分の内面でも、それから現実でも。
日記的な物語としては、1月に書いた記憶がある。
今日は、もう一度、これを紐解いてみようかと思います。そのうち、何かの役に立つこともあるだろう。
「言葉にならない望み(non verbalized wish)について調べてきなさい」という宿題が登場したので、私は、自分に問いかけた。
「望みは何が起きればいいの?」
そして現れたのがこれ。
緑の葉っぱ。
ここで、シンボルの名前は、「言葉にならない望み」から「緑の葉っぱ」に変化した。
(私とリアルに繋がりがあったり、オンライン上で私の現実的な活動を知っている人は、あれ?と思うことがこのあたりであるかもしれません。)
2回目のセッションの望ましいアウトカム:「私は、緑の葉っぱを探究したい。」
理由は、私自身に、緑の葉っぱがなんのこっちゃらわからなかったからである。
わかります?緑の葉っぱは、どんな望みか?
私にはわかりませんでした。
そもそもが、「言葉にならない望み」なわけですから、本人、わかるわけがない。
そして、2回目のセッションの後に描いた絵。
緑の葉っぱは、セッションの中で、5種類に分離したのです。4つ目の葉っぱは目には見えないと言った記憶があります。なんのことかいまだにわからない(笑)
ともかく、「言葉にならない望み」は、メタファー(例え/喩え)の状態ではあるけれども、言葉になったわけです。
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望みを叶えていく中で、言語化することは何を意味するかというと、少なくともそこに望みがある、自分が願っていることがあると自分自身がその存在を認知して受け入れること(受容)につながります。英語だと、acknowledgeとacceptanceかな・・・。
お仕事のセッションを通じての経験としては、世の中には、本当にたくさん、その人自身に受容してもらえないその人の深いところが抱く望みが溢れています。
自己受容、自己肯定が大事だという概念は、巷に行き渡ってきたような感じがするけれど、その中に、「自分が抱く望み」を含めるのを忘れてしまうこともまた、多いと感じています。人によっては、自分の傷を受け入れるより、望んでいることを受け入れる方が難しい場合があります。
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