低温やけど最終話。おちびちゃん、47歳を励ます。

 

低温やけどのつづき。全部記録しとく。

未来の私のために。



気分はスッキリ!痛み解決!したものの、「なかったことにはならない」低温やけどを、私がどうしたか?



私、癒し歴は長うございます。

ほったらかさないよ、もちろん。



最初に書いたように、傷の姿を捕まえたら、それは、その時、その傷をどうにか「できる」というお知らせだ。

今がチャンス!

チャンスはそうそうない。


しかも、今回は、何もないのに、傷側が勝手に主張しはじめたのだ。

それはもう、今やってくれ!今、癒してくれ!の大合唱以外、なにものでもない。


他人の話に耳を傾けるのも大事だが、同じくらい、自分の話に耳を傾けるのも大事だ。

他に誰が聞いてあげますか?


自分しかいないよ。

だって自分が自分に語りかける話は、声にならないのだから。


そして、私は私の過去を生きた私達を信頼している。

それがどのような姿でも。

何をやらかしていても。


彼らはいつだったか、白昼夢で、集団でやってきて、私に言ったのだ。

「あなたが頑張ってくれたおかげで、私たち、みんな幸せになりました。今度は、私たちが、あなたを幸せにします」と。




自分を癒す努力をしたことがある人と、そうでない人の差は、「過去や自分を癒せる」と体験的に知っているかどうかだ。

癒せるとわかっているから、取りかかることに抵抗がないことだ。



もう一つは、これは、その人の過去の癒しがどのように起きたかによるが、他人の力を借りたら早いことを知っていることだ。


自分が思い出せないような話は、自分ひとりでやるのは難しい(それが、ほんまもんのトラウマ。人に語れる傷は、思い出すに耐えうる話なので、まだ、浅い)ということは、私は知識として持っている。



というわけで、この話の最初に書いたように、私は、他人の手を借り、麻酔をかけてもらうことにした。

そして、昨日、麻酔をかけてもらって、低温やけどと再び向き合った。



そこで、私は1才未満、3才、5才のちびっこちゃん達にご対面した。

17才までの自分が全員揃ってはいたが、取り上げたのが、その3人。)


どのちびっこも、「来るのが遅い!」と私に怒っていた(笑)


途中は省くが、なかなか大変な理解不能な日々を過ごしていたらしい彼女達であった。

しかしまあ、小さくとも私なので、ご陽気でたくましい様子ではあった。


よく頑張った。

えらかった。

怖かったね。

そして、長らく待たせてごめんね、怖かったねと、私は謝った。


誰に謝ってもらえないより、誰に理解してもらえないより、自分に謝ってもらえず、自分に理解してもらえないことは、誰にもつらい。



そして、私は、彼女たちとの短い時間の対面の中、1才未満のちびっこちゃんから、彼女が愛用していた「手編みの毛糸の毛布」の記憶をもらった。

私は、それをすっかり忘れていた。


けれど、たしかに、私は、その「手編みの毛糸の毛布」が大好きだったのを思い出した。3才くらいまで使っていたはずだ。


その毛布にくるまると、愛に満ちていて安全なのである。

毛布は持ち運び可能である。

なんと、すんばらしいリソースをゲットした!と、私は思った。



(今朝、一夜明け、私は、その前の日に、「青紫色の目」が、見つけるものの中に、「毛布」があったな、と思い出した。

それで私は、「青紫色の目」が、春爛漫の庭園で、同時に、働き始めたことにも気づいた。)


経験的には、傷の中には、必ず、宝ものみたいなリソースが隠れている。

癒しは、宝探しに似ている。



そして、一時間ちょっと過ぎた後、5才の私が、夕焼けの河原で、私に言った。

「あとは、頼んだで。」



その瞬間、私は、なぜ、今だったのかに気づいた。

今なら、私は、彼女が望んだものを、彼女にプレゼントできるからだ。

彼女の願いを叶えてあげることができるからだ。


今でなければ、無理だったのだ。


彼女が心の底から望み、けれど、彼女にはやり方がわからなかったこと。

私が、やり方を覚えるまで、彼女に会っても、意味がなかったのだろう。



大人の言葉で書くならば、彼女が望んだものは、愛に満ちた平和的共存と調和である。


私は、そのための道具を、身につけた、身につけたと自分が認めたということに、私は気がついた。


身についた。

そう自分が判断した。


「大丈夫だよ」と、私を励ますために、小さな私達が私を呼んだ。


それに気がついた瞬間、私の目からはブワッと涙が溢れでた。



そして、次の瞬間。

1才未満から17才までの私が、全員並んで、笑ったような気がした。


「気がついた?ひっかかった!」


きゃきゃきゃ、と、全員、面白そうに笑っているみたいだった。


私は、「自分にはめられた」と声に出していった。

痛みで引っ掛けたな、と、思った。


付き合ってくれた人は、「サプラ〜イズ!みたいな感じ?」と静かに笑った。



それから、私は、6才から17才までの私については、もうしばらくお待ちいただくことに決めた。

「母が死んだ後にやります」と、私は言った。


それで、その子たちには、それまでネバーランドに遊びに行っていてもらうことにした。彼女たちは、ご機嫌に飛んでいった。


いつか、私が迎えにいくまで、楽しく遊んでいてもらえばいい。

母の葬式の日にでも現れて、一緒においおい泣けば、ややこしくなくていいなと、私は思った。

(大人はしたたかである。笑)


今、彼女たちの話を聞くことは、私にデメリットしかないと、私は判断した。

私は、そうできた人間ではないので、思い出してしまうと、現実がややこしくなる話が、彼女たちの話には含まれているはずだからだ。


タイミングは重要である。

彼らの話を聞くのは、母のお葬式の日がベスト。

それまで遊んで待ってて、と、私は思った。


イメージの世界ですることは、この場合、現実と変わらない。効果がある。



傷が治るかどうかが重要なのではない。

自分が納得できるかどうかが、重要なのだ。



そして。


低温やけどの話のすえに、私は、いくつか、新しいリソースを手に入れた。

それは、過去からの贈り物だ。



そして、それから、クリーンランゲージが、いかに、自分にとって特別なのかを知った。


それは、ただの質問ではない。



本当に、私にとっては、本当に、魔法の呪文なのだと、私は気づいた。

幼い私が求めてやまなかった魔法の呪文。



愛と希望と平和を生み出す魔法の呪文。



低温やけどを癒すチャンスは、いくらでもあった。

けれど、今の今まで、待ってくれたこと。


私の中のちびっこ達に、私は感謝した。


「だから言ったやんか。

私たちは幸せになったって。私たちが、あなたを幸せにするって。だから、痛いのくらい、我慢してあげたやんか。

みんなに分けられる魔法探しの旅に、ちゃんと、毛布も持っていってや。

お母さんが、編んでくれたんやで、それ。」



小さな私が知っていた愛を私に渡すために、ちびっこ達が、痛い!と騒いで私を呼んだ。


あんた、傷つくのが怖いんやろ?ほんなら、安全のお守りに持っていき、毛布、と。

1才未満のおちびちゃんがくれた記憶。

おちびちゃんの持っていた知恵。


それに励まされた47歳(笑)

おちびちゃん、47歳を癒すの巻(笑)


なんともまあ、してやられた感で、この話は終わりである(笑)



話をひとつ、進めよう。


「そして、この話は終わり。

すると、次に、何が起きる?」


もしくは


新しいアウトカム(新しい望み)を生み出そう。


「たった今、あなたは、何が起きればいいのでしょう?」


この質問は、おそらく、ブログには、初めて書くので、一応、英語。


What would you like to have happen just now?