POPS

 

タイトルは昔読んだ漫画のタイトル。

話とは関係あるのかないのか。


おそらく、言葉にならない私の意識を私に言葉にして欲しい時、体は、色や音楽を使ってくるんだろうなと、たまに思う。

言葉が必要だという時。


ちなみに、私は、意識と無意識の差は、言語化されているかそうでないかという違いだけで、同じものではないかと最近は感じはじめている。


体を動かす指示を出す信号が意識ではないかというのが、私自身の現在の見解だ。

それが言語化されていれば意識、されていなければ無意識(潜在意識)。


言語化されたそれは、一見思考や感情と見分けがつかないが、体を動かしているならそれは意識で、体を動かさないなら、そこには意識は関わっていないという推測。


だから、もし意識が変わったと思っていても行動が変化していなければ、それは思考が変化しただけで意識は変わっていないということになる。

また、思うことは何も変わらないのに、行動が変容していたら、意識は変わっていることになる。


意識と感情や思考の間の伝達経路が人によって違いがあるのだろうと思っている。


体が動けば、必ずしも意識は言語化されている必要はなく、ただ、そこに外側の選択が絡んでくる時は言語化されていなければ、選択を間違う。

体は常に、体にとって最善の環境を整えようとする。


そんな感じのような気がする、私の現在辿り着いてる見解としては。


病気が流行ったおかげで、今年、体を大事にしなければ人類は終わりなのだと多くの人が気づいた。

体を無視して経済はないこと、体は経済すら崩壊させうることに気づいた。

歴史が好きな人は、それで滅んだ文明がいくつもあることを知っている。


ここから先、精神世界の流行は、体を動かすための意識に主軸はうつるだろうと、私は思っている。

心を救う意識はすでに十分成熟しつつある。



で、これから話は本題だけど、私は、ああ、そうだ、ポップな感じのこと、と唐突に思った。


ポップにやりたいのよね、軽やかにと。


なんかそんな感じ。