だって人間だもの

 

やっぱジーザスはすごいやと思った。

たとえ、神さまじゃなくてもすごいや。


ほんで、この際、なんの神さまでもいいわ。

カルトじゃなきゃ。



神さまからでも貰い続けなきゃ与え続けるとかやっぱ無理と思った。

絶え間なく、自分に与え続けてもらってなきゃ、与え続けるとかやっぱ無理。

そんなことしてくれるのは、神さましかいない。

小さな子供が求めるもんくらいは、人間が与えてあげられるかもしれないけど、大人がそれを人間に求めたとき、違うことが起きる。

けれど、それは、割と普通に起きる。



与える側は枯渇するし、かまってちゃんやちょうだいちょうだいちゃんは、どこまでも持っていこうとするし。

もめんでいい揉め事を生み出したい人、自分の世界(幸せじゃない世界)に他人を巻き込みたい人は、山のようにいるし。

疲れちゃうわよ。


奪われないように、必死で自分を守らなきゃって思うわよ。


だって、人間だもの。

相田みつを。


そうして、かまってちゃんやちょうだいちゃん達は見捨てられるのだ。

離れるしか自分を守る方法がなければ、相手が限度を超えてきたとき、人は離れていく。

なぜなら、相手は人間だから。



私も、離れるという選択を過去には何度もしている。

離れて困ったことは、一度もない。

そもそも自分の問題ではないから。


そしてある時期、私は決めた。

かまってちゃんは構わない、ちょうだいちゃんには与えない。

それはなかなかうまく機能した。


やがて私は、かまってちゃんとちょうだいちゃんしか存在しない世界に、自ら足を踏み入れた。


ぶっちゃけもうめんどくせえなという案件を、私はいくつか抱えている。

それは、私の問題ではないから、私はいつでもそこと関わりを絶てる。

そして、それは、私の人生には私の感情が動く以外一切影響しない、そういう類いのこと。


不思議なことに、私は、違うやり方を取ろうとしている。

離れるというやり方以外のやり方。


正直、私はかなり不愉快である。

かまってちゃんとちょうだいちゃん達は、どう聞いても陰口にしか聞こえない陰口を言う。

そしてそれは、必ず本人の耳に入るシステムとなっている。

ここしばらく、人生の中で、自分史上最高数の自分の陰口を私は聞き続けている。

そして、今、私がめんどくせえかまってちゃんとちょうだいちゃん達は、弱者のポジションに立つから、100%こちらが悪者になる構図がある。


弱者が強者の世界もまた、この世には存在する。

そこに、かまってちゃん達は気づいていない。

人材不足が叫ばれる業界の最大の問題点はそこであると、私は見ている。

金銭じゃない、精神的な負担の話だ。

強者が自分を弱者だと思う時に起きる構図はややこしい。


ああ、めんどくさいと思った私は、だがしかし、離れる以外のやり方を探そうとした。


かまってちゃんとちょうだいちゃん達は、くそめんどくさくはあるが、可愛らしい一面もあったりするし、何より、おそらくは、私の存在に救いを見出しているからだ。


やり方はいくつかあって、ひとりになるというやり方(自分に戻るというやり方)、際限なく自分に与え続けてくれるものから際限なくもらうというやり方、他には何かあったかな?


与え続けるのに、枯渇しないやり方。


私は自分の精神性に期待しておらず、また向上は見込めないと冷静に判断しているので、もらい続けるを選択したわけであるが。


これにも穴はある。

繋がらなければ、エネルギーチャージができない。


つまり、ジーザスは、人間として生きてる間、少なくとも四年間はずうっと繋がり続けとったわけであるなと、クリスマスのある月の1日目に思った。


それは胸がポカポカして気持ちよかっただろうなあ。


と、ここまで考えたとき、ふと浮かんだ。


「信仰の薄いものよ。何を恐れる?」


そうして、胸がポカポカした。


そして。


いくらでもあげよう。

好きなだけ持っていけ。

好きなだけめんどくさくいてくれ。

好きなだけ文句を言え。


私が与えるのではない、ジーザスが私の体を通して与えるのだから、私が奪われるものは何ひとつない。


私は与えているのではなく、ただ、もらい続けているだけだ、だって私から出ていく何倍も、神さまは私に与えなきゃいけなくなるからね。


私が与えられるのは、自分がもらうもののうちたった十分の一なのだから。

それ以上は無理なのだから。

なんだ、かまってちゃんもちょうだいちゃん達もかわいいもんじゃないか、と、私は思った。



それにしても、まあ、めんどくせえがなと、私は思った。


だって人間だもの。