裏切られる家族の期待
家族全員が「どうせすぐ飽きる」と言って、意外に続いていること2つ。
クリスチャン。信仰。
週2回、仕事合間に行く訪問介護のバイト。
家族がすぐ飽きると言ったのは、どちらもキャラにないからだ。
しかし、私は気がついた。
これらは、自分の精神のバランスを取るのに、非常に役立つ。
私の中の温かくて純粋なものを、その2つは裏切らない。
夢中にはならないけれど、人生の中にあったら、自分が生きるのがより軽やかになる感じがしている。
個性もあるし、合う合わないがあるから、同じものをおすすめはしないが、同じような話は聞いたことがあるから、似たようなことがおすすめの人はいるかもしれない。
例えば、ある稼ぎまくっている弁護士さんはある日、人生に虚しさを感じたのだと言う。
その人は、その後、縁があったチャリティ活動に参加した。
キリスト教系のチャリティ。
すると、精神的なバランスが取れ、生きるのが楽になっだのだと言う。
そういう話は、いくらでも聞く。
私については、矛盾しているようだが、この2つに関わりだしてから、思い切り儲けてやると、何のためらいもなく考えはじめた。
いまいちギアが入らないまま長い時間が過ぎていたが、吹っ切れた。
そうして頭の中は、遊びでいっぱいになった。
私にとって、仕事はいつでも遊びだ。
私の仕事は、世にあれば少しは楽しいかもしれないが、存在せずとも誰も困らない無駄なことばかりだ。
なおかつ、私の代わりは腐るほどいる。
自分が特別な存在でありたいと悩む人は多いが、私については、私は自分を特別だと考える方が難しい仕事をずっとしている。
ブライダル時代からそうだ。
ブライダル業界そのものが、なくても世の中成立する業界だったから。
結婚は、披露宴がなくてもできる。
ちっとも世の役に立たんなと私は長いこと思っており、それは別に私を卑屈にはしなかった。
私の存在価値は、役に立つ立たないという感じではないと、周りを見ていて思っていたからだ。
私に期待されているのは、別のこと。
私のことを好きな人は少なくない気がするが、役に立つから好きな人はいないだろうと思われる。
しかしながら、新しく人生に加わったこの2つは、あなたは役に立ちますということを、私に伝えてきた。
バイトは、現実的に、ただ私は当たり前にできること、手が動くこと、歩けること、そういうことが人の役に立つことを私に教えた。
それから、信仰は、やっぱり、あなたは役に立つと、私に教えた。
願う力が強いこと、祈ること、小さな時から当たり前に存在したそれらをしてくれる人を、神さまはいつでも求めている。
神さまは祈れない。
神さまは、人間の祈りを叶える役だからだ。
だから、祈れば神さまの役に立つ。
ふうん、役に立つとは気持ちのいいものだなと私は思った。
私は快楽主義者だ。
気持ちがいいことは続ける。
だから、しばらくは、この2つは、マイペースに続くのではないかと思われる。
私はどちらも、いい子じゃないし、信仰は薄いので、それを人生の真ん中に置くことはできないが、神さまと一緒に生きてみたり、自転車に乗ってちょっとお出かけしてお料理したり掃除したりは、私の人生の質を向上させ、より気持ちよく生きられる気がしている。
楽しく続けるポイントは、「他の人は知らん(他のクリスチャンの信仰スタイル、他のヘルパーの話は、私のことじゃないから興味がない)」だということを、この2年弱で学んだので、ますますマイペースに拍車はかかっている。
マイペースOK、つまり、これは続くパターン。
家族の期待は、常に裏切られるものである。