てんやわんやな年末

 

てんやわんやな年末だった。


田舎の親戚が流行病にかかった。

それはいいが、問題は、その地では五本の指の人もまだ流行病にかかっていなかったことだった。

かかった本人も首を傾げるくらい、心当たりがないことだった。

そして、そのすぐ側に、もう車椅子なしでは歩けない認知症の祖母と、祖母を介護する叔母がいることだった。


流行病にかかった親戚のことを知った親戚たちは、祖母と叔母のこともだが、みな自分のことを心配しはじめた。

みな高齢だ。


私の携帯電話は鳴り続け、私は普段より忙しくなった。

こちらでできることをやり、話を聞きなだめ、情報を渡し。



話を聞いていて思ったが、同じ一年を過ごしてきたのに、田舎の親戚の知識は、春で止まっていることだった。

怖がり方は、私が住む場所の人々よりも深刻だった。

私は、それらの人々の話を聞きながら、もしも流行病がそれらの人の言うような病気ならば、今、もう、東京や大阪、それから周りの県は焼け野原だと思った。


そして、実際にそう言った。

あのさ、なんだと思ってる?と。


「ワイドショー見る?」と私は何回も聞いた。


私は、きっと、未開の文明の住人にはじめて会った文明人が抱いたのは、こんな気持ちだろうと思った。

あまりにも話が非科学的だったのだ。

怖がる割には、ポイントがずれていた。


新しい病気に関しては、ほとんどのことがまだわかっていない、長期に渡る影響は全くわからない、ただ飛沫感染するということがわかっている、だから、手洗いうがいマスクをしっかりする必要がある、家の中にウイルスを持ち込まないようにする必要がある、病床数は限られている、だから感染対策はしっかりする必要がある、それでも感染する時は感染するという事実ではなく、まるでペストに出会った中世ヨーロッパの人のように、それを恐れているように感じた。


そしてまた、私は、何回も言った。


「他人事だと思ってたでしょう?」


東京や大阪、その他都市で起きている話を、怖いね怖いねと言いながら、ワイドショーで観ていただけでしょう?と。

私たちは、その中を一年暮らしてきた。

満員電車は動き続けた。

みな休みたかったに違いないが、食料自給率が低いこの国で産業を止めるのは難しかろうと、私は思う。

鎖国したら飢え死にだ。



私はあのさあといろいろ、もちろん全部、笑いながら言った。

本当に、年若い従兄弟まで、あまりにも知らなさすぎてびっくりした。


そして、親戚にあれこれ指示したり、自分ができることをしたりした。


私の親戚内での役割はムードメーカーだ。

昔も今も。

私はこういう時は笑い続ける。


そして私には、これを心温まる経験として、自分の人生に刻む自己責任もある。

私の体験、私の責任。


それに、ジーザスも私に感謝してほしかろうし、褒めたたえてもらいたかろう。

だから、必ず、心温まる経験となる。

でなきゃ、褒めない。

私は辛い経験を与えてくれとは頼んでないのだから。



「差別で住めなくなったら、墓じまいして、都会に引っ越しやな」と、私は祖母を介護している叔母に言った。


差別しはじめた人たちが悪いとは私は思えない。

きっと、私の親戚も、立場が違えばそうしたのだ。

だから、彼らは恐れている。


ただし、田舎にいたから、そのかかった人はすぐに検査が受けられ、すぐに入院できた。

叔母の検査は、保健所が家まで来てやってくれるという、人数少ないからのメリットもそこにはあった。


そして、その閉鎖性が、彼らを守ってきた一面もあると思う。


ただし、私の田舎の人たちは他人事だと思っていたから、調子が悪かったその人は、テレビで見たような行動さえしなければ、普通に暮らしている人はかからないと勝手に思い込み、体調が悪かったのに、感染後にも動いていた。

また他の人も、その人の体調が悪いことは知っているのに、何も考えず、会っていた。

遊んだり集まって歌ったり、飲んだりしなければ感染しないと思いこんでいたのだ。


流行病にかかるのは、そういう行動をしたかかるやつが悪い、真面目な人はかからないと、非科学的の極みの思考で。


飛沫感染は、誰でもうつる。

発症するしないはあるだろうが、生まれてから一度も風邪を引いたことがない人を探すのがいかに難しいかを考えれば、誰にでもわかる。



私は、自分の周りには、田舎の親戚が言うようなことを言う人がいないのでびっくりし続けながら、動いた。

差別も周りでは聞かない。


それは土地柄もあるとは思うけれど、誰でもかかることは私が住む場所ではもはや常識だ。

若い人も高齢者も。

症状に違いはあるが、誰でもかかる。

町の人の数は減ってはいないが、高齢者の数はものすごく減っているし、みな、気をつけているのが見てわかる。


知事はすでに、第四波の準備をはじめている。

感染力が強い種が入ってきてると知っているからだろう。

彼が現実的な人で本当によかった。



なんていうのかな。。。


差別は、自分は全く関係ない余裕がある人が余裕がある時にやることで、今は、全員関係者なので、当事者になってから当事者意識を持つのではなく、それ以前に考えてみれば、必要なのは、温かいムードだとわかるはずなんだよなと、私は、親戚たちとやりとりする中で思った。


次は自分かもしれないよ?

自分はまだ若くても、自分の親かもしれないよ?


自分たちが会わないようにしていても、親が全く外出しないというのでなければ、自分たちが会わないだけでは感染は防げないし、また高齢者の外出を完全に止めると別の問題が発生する。


自分の時に周りにしてもらいたくない態度は、他人にはしない方がいいと思うんだよな。


私は、母に「頭悪いのかしら?」と思わず言った。

母は淡々と「想像力の欠如でしょ」と言った。



生き抜く方法は様々だ。

戦略も様々だ。


けれど、差別は、今、効果が低い戦略で助け合えたはずのことが助けあえず、後に禍根を残す愚かな戦略だと、私は思う。



なかなか渋い内容で、ほんとに、これが今年最後の記事。笑



病める人には健やかな回復を。

病める人を支える人には心と体に守りを。

その周囲の人には不安に負けない強さを。

経済に困る人には救いと難局を乗り切る知恵を。

休みなく働く人々には、ひとときの休憩を。

休める人には、温もりに満ちたひとときを。

他、必要なものを、必要な人に全て。


それらを与えてください。

そして、私にも、休息を与えてください。

今日あることに感謝します。



祈りで今年はおしまい。

なかなか渋い。


よいお年を。