心と体を統合する*ヨガレッスン記録

ヨガ通い。
続けようと思わずに続いている。
朝起きて、スマホの予約アプリを眺めながら、一日の予定、その日の体調と照らし合わせ、今日はどれにしようかな?と選ぶ時間が楽しみですらある。

昔、ひとつだけ、続ける努力をせずに続いた習いごとがある。
それは結局、20年続いた。
一度もやめたいと思わないまま。
それは手の指先と全身、心を使う習いごとだった。

ヨガは、足の指先、全身、呼吸を使う。
そしてそこには、音楽がある。
やめたいと感じたらいつでもやめるが、今のところは楽しみだ。


さて。

通い初めて1週間め。
先生達がみな使う単語と言葉のフレーズがあることに気がついた。

「心がざわつく」「心が落ちつかない」「心が不安」がそれだ。
ヨガの呼吸には、それらを抑え、落ちつかせる働きがあるのだという。

それで、私は気がついた。

自分の心が、ざわざわしておらず、落ちついていること。
つまり、私の心のコンディションが、秋にもかかわらず、非常にいいこと。


2週間め。

ヨガは、心と体を統合する、と習った。
魅惑の響きだ。
そうなったら、何か素晴らしいことが起きそうな気がする。
それはいったいどういう状態のことを言うのだろう?と私は考えた。

どのクラスをとっても最後に必ずするシャバーサナというただ寝転がっているだけのポーズがある。
そのポーズの時、私はいつも「ああ気持ちいいな。ああお腹すいた。何を食べようかな」と上機嫌になる。

ある時、家に帰って、は!と気がついた。

心と体を統合するとして、統合されるのは、私の心と私の体だ。
つまり〜、統合されてもなんら素晴らしい存在へとは私は変わらない。
だって、私だもん。

なんと残念な気づきだ、、、と私は思った。
私は小さな存在で、できた心は持っていない。
私は私のままだ。
別の存在にはならない。


3週間め。

体が軽くなり始めた。
自分の体は重かったのだ、随分長い間、と私は気がついた。

そして、私は、自分の心と体の重さが異なることに気がついた。

私の心は、だいたい軽い。
20年以上、心のことをやってきて、まだ心が重いなら、私は才能がなさすぎるので、心については手放した方がいいくらいなので、これは当然。
思考を作り変える努力をしたのだ。
あとは、そもそも楽天的なのと。

私の心は軽い。

だが、私の体は軽くはない。
心の動きに、体がついてこないことがある。
心が活発でクリエイティブでも、体がしんどくて動けないことがある。

ここだ、と思った。

心と体を統合したなら、それができていたなら、私はもっと軽い体を持つはずだ、と。

そして、思い出した。
私は、そもそも、非常に活発な運動神経のいい子供で、じっとしておくのが非常に難しかったこと。
思いついたら動かずにはいられなかったこと。
メアリーポピンズに憧れれば、即座に傘を持って高いところから飛び降りるような。

体力はないけれど、男の子たちと走り回って遊び、毎日、死んだように眠っていたこと。


4週間め。

体の好みに気がついた。
いろんなクラスがあるが、動き回るクラスか、じっとして何も考えないクラスを自分の体は好むこと。

それから、いとも簡単に自分は瞑想状態になれること。
そして、それは、ピアノの音が絡んでいること。
やめたいと一度も思わず、ついに20年目、体によって引き離された楽器。


それから、走るだけ、歩くだけは、自分には退屈なのだと気がつく。
だから、散歩やジョギングは続かない。
体の好みに合わなかったんだな、と。


5週間め。

ヨガ界の有名人らしいテレビに出た人が、私の通うスタジオにワークショップでくるのを、たまたま、クラスの予約をしようとして見つける。
予約ががらがらだったし、なんか楽しそうで料金も安かったので予約する。
ついでに、、ハンサムだった。その人が。

次の日、すでにワークショップはキャンセル待ちになっていることを知る。
自分はどうやら募集開始のタイミングで見たらしい。


今ここ。