1979

ゆかりちゃん。
ゆかりちゃんは1979年にいる。

ゆかりちゃんには自分の家と同じように出入りしている家が4軒あった。
お向かいさん、ななめ向かい、お隣さん、反対のお隣さんだ。

お向かいさんには、ゆかりちゃんと妹よりひとつずつ年が上の兄弟がいた。
ななめ向かいには、ゆかりちゃんと妹と同じ年の兄弟がいた。
お隣さんには、3つ年上のお姉さんがいた。
反対のお隣さんには2つ上のお姉さんがいた。
ゆかりちゃんは生まれた時から、みんなと一緒に育った。
お向かいさんのお兄ちゃんとゆかりちゃんは、よくケンカをして、必ずゆかりちゃんが負けた。
赤ちゃんの頃から、ゆかりちゃんとお兄ちゃんはよく戦っていたらしい。

ゆかりちゃんのお母さんがどこかに出かけていく時、ゆかりちゃんの妹はまだ小さいのでお母さんと一緒に出かけた。
ゆかりちゃんは、お向かいさんか、ななめ向かいで遊んで帰りを待っていた。
お向かいさんとお隣さんのおばちゃんと、ゆかりちゃんのお母さんが仲が良かったからだ。

時々、夕方、お母さんに言われて、お向かいさんに、小さな器を持って「お砂糖をかしてください」とか「たまごをかしてください」とか言いにいくのは、ゆかりちゃんの仕事だった。
妹がよちよちとついてくることもあった。

コロコロコミックを読むときは、ななめ向かいの家に行き、子供の科学を読むときは、お向かいさんに行った。
隣のお姉さんはひとりっこで、ゆかりちゃんと妹を、自分の妹みたいに可愛がってくれた。

ゆかりちゃんは、妹とも遊んだが、妹はすぐ泣くのでめんどくさいとも思っていた。

ゆかりちゃんの周りには、家族以外のたくさんの人たちがいつもいた。


時は流れ。

お隣のおじさんが、つい先日、亡くなった。
家族だけの小さなお通夜に、私は両親と参加した。
親戚以外の参加者は、私と両親を含めて4人だけだった。
もうひとりも知っている近所の人だった。

お隣のおばさんが、私を見て、「ゆかりちゃん!」と声をあげた。

お通夜のあと、おばさんはすぐに私のところに来て、「どうして、、、お母さんに聞いたの?」と言った。
私が少し笑って「赤ちゃんの時から、知ってるから、、、」というと、おばさんは、「そうね、そうね。、、、、ありがとう、来てくれて。嬉しかったわ」と涙ぐんだ。

私は、たくさんの大人に可愛がられながら育ったのだと思った。

そこには赤ちゃんの時から参加していた小さな社会があり、その中でもまれながら育った自分を感じた。
私は、コミュニケーション能力を評価されることが多いが、それは生まれもったものだけではなく、環境の中で育まれたものだなと思った。

両親が私に与えたもののひとつで、私が見落としていたのは、私が育った小さなコミュニティだ。

当たり前に存在したそれは、私に様々なものを与え、私を育んだような気がした。

そして、それは、少しずつ、静かに幕を下ろそうとしている。


不思議なことに、現実が幕を下ろそうとする気配を見せ始めた今、「ゆかりちゃん」が見た様々な景色が、ここ最近、色鮮やかに蘇る。
そこには空気感がちゃんと存在し、まるで今、目の前に広がっていくかのようだ。

それは、私が過去にブログに書いたような癒しが必要なものがたりや景色ではなく、その景色そのものが癒しの力を持つようなものだ。

たくさんの動く人々、声、風、匂い。

記憶というには色鮮やかすぎて、なんだろう、、、、。
そこに、ひとつの独立した世界があるかのようだ。

ゆかりちゃん、も、自分というより、自分によく似た小さな女の子という感じで、私は、ゆかりちゃんを外から眺めている感じ。

ゆかりちゃんが思うことはよくわかるが、私は、テレビで子供を見る時と同じように、ただそれを微笑ましく思うだけで、それ以外の感情は動かない。

ゆかりちゃん、は、なぜかは知らないが私から独立している。
そして、今、この瞬間、そこに生きているかのようだ。

それは過去であって、過去ではない。
1979年、という世界が、今、この瞬間に存在していて、それをのぞいているみたいだ。

不思議ね。