深刻になれない短所と長所

私は、深刻にならなければならない時に深刻になれないという短所で同時に長所を持っている。

例えば。

私は一度、殺されかけたことがある。
二十代の頃。
実話だ。

前に離婚した時、前の夫は離婚したくなかった。
らちがあかないので、私は、土下座して言った。

別れてくれないなら私を殺して。

そういえば、どれくらい別れたいかが伝わると思ったからだ。

しかし。

前の夫は素直に指示に従い、登場したのは、包丁だった。
まじかよ、、、と、私は思った。

しかし、首に包丁を突きつけられた私は恐怖には震えなかった。

ひらめいてしまったのだ。

ああ!これ、別れ話のもつれで殺されるってやつだ!
やっと意味がわかった!
不思議やってんな、別れたいなら別れればいいのに、なんで殺人事件になるのか。
そうかそうか、ひとりだけが別れたい時にそうなるのね。
わかった!


いらぬ気づきである。


そうこうしている間に、私の首からは、つつつ、と軽く血が流れたのであるが、それを見た前夫は正気に返り、こんなことで人生は棒に触れないと包丁を片付けた。

私は言った。

あのね、今ので別れ話のもつれで殺されるって意味がわかってん。
ずっと不思議だったから、わかってすっきりした!

気づいたら誰かに言いたい、人情である。
目の前にいた人が、たまたま自分を刺そうとした人だっただけのことだ。

多分、私の目はキラキラしていた。
気づいた時、私はいつでも嬉しい。


前の夫は、はあとため息をついて、わかったよ、別れるわ、と言った。
そして、私たちは離婚した。
彼は、私にはなんの不満もなかったらしい、変わった人だった。


あれは、深刻な場面だったはずなのだが、私は深刻になりきれなかった。
自分が殺されかけてすら深刻になれないのだから、他のことで深刻になるのがいかに難しいか。

多分、脳のどこかがおかしいと思っている。
遺伝的に。
父だ。

私のおかしなところは、全部父譲りだ。
自分が入院して見舞いに来た娘に、半導体の歴史を語り出すような人の血が、私の中には半分流れている。
そもそも私は、半導体が何かがわからないが。


深刻になれないことは、仕事では非常にいい効果を発揮することが多いから、長短トントンということで、諦めるより仕方あるまい。
物事には必ず両面がある。