世の中にある前提

これは、ほんの数ヶ月前からなのだけど、それを自分に向けられる時、私がいらいらし始めた前提がある。

主に広告や販売トークで。

人は誰でもストレスや不安を抱えている、という決めつけだ。
悩みがある、という前提。
問題を抱えている、という前提。


あなたもあるでしょ?とそれを押し付けられた時、ねえよ、といらいらする。

例えば化粧品を買いに行けば、「気になるお悩みはありますか?」

ねえよ、と思う。
実際ない。

シミもあるけど大してないので、気にしてない。
気になるほどになったら、私は迷わず皮膚科に行ってシミをとる。
放置はしない。

表情じわは財産だと思っている。
笑いジワが多いけど、それは私が笑いながら人生を歩いてきたことを証明してくれる。

乾燥肌だが保湿すればどうということもない。

つまり、それらで私は悩んでいない。
悩まないように、動いている。

私が探しているのはいつでも、自分をより魅力的にみせるか、効果がいっぱい詰まった時短の化粧品だ。
時間はあんまりかけたくないけど、綺麗でいたい、が私の「望み」だからだ。


服を探せば、「体型カバー」ということばにぶつかる。
気になるところをカバー。

ねえよ、と思う。
気にならないように、動いている。

肩が丸くなるのが嫌だったから、背筋はずっと伸ばすように、姿勢をよくいる努力はしてきた。
だから、丸くなってない。
カバーしなければいけないことが登場しないように努力してきた。

私が探しているのは「お気に入り」となり得る可能性を秘めた服だ。
それから、その服を着る状況が先に決まっている時もあるから、その状況の中にいる自分を力づけたり魅力的に見せたりする服だ。
私の「味方」になる服を、私は「常に」探している。


仕事について、ストレスたまるでしょ?と聞かれる時、ねえよ、と思う。
ある時もあるが、ない時はない。
常にはない。
ストレスをためない努力はしている。
だから、たまらない。

「常に」ストレスがある、という前提がうっとおしい。
人は「常に」悩み、人生には「常に」不安や問題がつきまとい、恐れは「常に」そこにある。

常にはねえよ、と私は思う。



セッションに来るクライアントさんも、最近時々、問題はない、悩みはないけど来られる方がいる。
ただ受けたいからセッションを受けるために。
楽しそうだから。
望みがあるから。

でも、クライアントさんは、最初はそうは言わない。

何か悩みや問題があるふりをするし、自分自身もそう信じている。
自分は問題を抱えている。

話をしていくと、そこにあるのは、ただ望みだけの場合がある。
しかし、まずは、悩みや問題がないことを確認する時間が生まれる。

望みが叶っていないことで何か問題が生まれているなら、話は別だが、ただ望みが叶っていないだけならそれは問題ではない。
ただ望みが叶う前だ。

ただ、今よりよくなる手前にいるだけだ。

問題がない、悩みがない、ということを確認すると、クライアントさんは必ず、安心したように小さなため息をつく。

ほっ。

薄々、自分でもそうだとみな気づいておられるのだが、周りがそうではないし、悩みと問題のない世界などないと思いこんでいて、悩みと問題を生み出す努力をしておられることが多い。



悩みや問題として認知せず、望みとして認知するようにすれば、悩みや問題は存在しない。
どちらがいいかは性格によるだろうけれど、ストレスに弱い人は、望みを認知する方が精神的にいいかもしれない。
健康にもいいかも。


そして、悩みがなくても、問題がなくても、罪悪感はいらない。


そこまでたどり着いたら、次に何が起きる?



面白いけど、みな同じ行動を取り始める。
今のところ。

やっぱそうなるよな、、、と、私は思う。

みなが取る同じ行動。
他人の幸せを祈りはじめる。
そのために自分ができることをし始める。

世界に起きて欲しいことを考えはじめる。


世界の問題に目を向けるんじゃなくて、世界に起きて欲しいこと。
そして、そのために自分ができること。

すると、世界すら、ただ望みが叶う前にいるように見えはじめる。


小さな希望、が生まれる。