そして現れた体への思い
ふわりとベールをはぐように、体への思いが現れる。
体への恨みとでもいうのか。
もっと柔らかい体に生まれていたら。
もっと体力がある体に生まれていたら。
激しく動いてもむくまない体に生まれていたら。
まっすぐな背骨だったなら。
もっと肩幅があったなら。
過去に思ったことのある様々な思い。
当時、私は、体はどちらかというと私には非協力的だと私は思っていたが、それは、体と心が仲良くなかったからだな、と理解した。
体が好きなことと、心が望むことに不一致があり、心が望むことは、体には辛いこともあったのだろう。
最たるものが、ピアノ弾きすぎ、である。
体は、やめてくれ、と言った。
心は、それが大好きだったから、自分からそれを奪った体を恨んだ。
体も心も痛みまくりだ。
というようなことが、自分の中で起きていたのだな、、、と、すでに終わったことを今、理解した。
心と体が無邪気に仲良くヨガに取り組む中で。
気持ちいいね、お腹が減るね、と仲良く。
和解した後に、そこに存在した戦いを知った。
どちらも、どちらにも謝罪することなく、許すも許さないもなく、ただ、気持ちいいね、これならできるね、BGMにピアノの音が入っているとなおいいね、を味わうだけ。
心も体も、苦しい時を一緒に乗り越えたのだ。
そして、心が元気で快適なのが確認できた今、体は、心の望みに寄り添おうとし始めた気がする。
もっと思うように動き回れる体が欲しいという心のニーズに、よしきた、と答え始めている気がする。
つまり。
私がこれからしようとしていることは、私を幸せにすることだ。
体も心も痛まない。
やればやるほど、幸せになっていく、そういう類の話だ。
そして、それは考えるだけでは実現せず、体の協力が必要なことだ。
何が待っているのだろう?
楽しみ。