抱えてきた体の痛み

子供の頃から付き合ってきた痛みがある。

右膝と右股関節の痛み。

いつも痛いわけではないが、時折、痛む。
私の体は首から骨がずれていて、それが理由ということだった。
痛みだせば、整体にいけば治るが、またほどなくすると痛む。

この首がずれているのは、むちうちをほったらかした人のような状態であるらしく、何か心当たりはないか?と何度か聞かれた。

ひとつ思いあたるのは、3.4歳の時に、3.4メートルくらいの高さから転落したことだ。
田舎の祖父母の家の石垣の上から道路に落ちた。

祖父母の家は、石垣の上に建っていて、当時は塀がなかった。
私は庭を走っていて、止まれず、そのまま落ちたのだ。

田舎の道路は、その頃まだアスファルトではなく、私は、お尻の重さに助けられ、道路脇の溝にすぽんとはまって落ち、奇跡的にどこも怪我せず無傷だった。

大人はみな焦ったらしいが、私は泣きもしなかったらしい。

空を飛んだ記憶はなんとなくある。
びっくりしたのだろう。

私が痛がらなかったので、病院にはいかなかった。
祖父が、次に来るときまでに、もう落ちんようにおじいちゃんが塀を作っておくけえねと言ったのを覚えている。
(作ってくれた塀の上を走って怒られたのも覚えている。私は登りたがる子供だった)

むちうちになる衝撃、、、というと、それしかない。



ヨガをしていると、ああ、ずれてんな、、、と、その二箇所によく違和感を感じる。

ピラティスをすると、その二箇所は楽になる。

まるでリハビリ、とよく思う。
40年くらい放置した体のリハビリ。



ある時、ヨガでもピラティスでも最後にする死体のポーズで、寝転がって目を閉じていた時、私は、ああ、体にとっては、この二箇所は問題だったんだ、どうにかしたいと思ってたんだな、、、、とふっと思った。

そうか、問題だったんだ、、、と。
痛い、は、問題か、、、、と。


そして、私があまり動き回りたがらない理由の一つは、体がむくむというのもあるが、動くと膝と股関節が痛むからだ、と気がついた。

痛みを避けるために、動かないように、体がしてきたのか、、、、と。
痛みから私を守るために。

なるほど、と思った。
心理的なことかと思ってきたけど、違ったな、、、。


そして、すでに、これは解決し始めているのだということもにも気がついた。
そうでなければ、体は私には教えてこない。

私の頭が、問題を抱えて生きるのを好まないことはよく知ってるいるはずだ。
私なのだから。

私は、解決できない問題は、問題として言語化しては気づかない傾向がある。
解決するために、動いてはじめて、はい、これは問題です、と私は私に知らせる。


続けなさいよ、多分、一生、できるとこまで、と、なんとなく思った。
引っ越す時も、必ず、近所にヨガピラティスの教室があるところを探さないと、と。


痛みを感じる可能性を下げてくれるなら、もう少し動いてやってもいいよ、と体が言った気がした。

この表現は、メタファーね。