こっちは私の記録「橋」:寺子屋&銅像

記録。

シンボリック・モデリングがもたらした変化について。
そして、「橋」というシンボルの効果について。


昨日の午後、気づいた。

その瞬間、私は、この土日、英語で行われたワークショップの資料に自分自身が書き込んだメモを見なおしていた。

資料は英語だ。
しかし、事前に配布されていたので、そこには、私自身の翻訳がすでに印字されていた。

そして、空欄に書き込まれた、参加当日に自分が書き込んでいるメモを見て、私は、そこまでと大きな違いがあることに気づいた。


私が書き込んでいたメモは、日本語だった。


今朝、もう一度、私は配布資料を見直した。

そして、そこに、もう一度、自分が書き込んだ日本語を見た。


少しだけ涙が出た。


英語で開講されている何かに参加した私のメモが日本語だったのは、これが初めてだ。


その日本語が意味していたものは、私がその場で英語を日本語に翻訳していたということだ。つまり、私はその場で、その英語を理解し、なおかつ、同時に日本語にしていたということだ。


私は、これは「橋」の効果のひとつだと思った。


昨日、私から話を聞いたある友人が笑って言った。

「Yちゃん、ずっと言い続けているよ。日本語に落とし込みたいんだって、ずっと言っていたよ」


私にこの土日に起きたことは、英語の海で溺れかけただけではなく、私の頭の中に、英語と日本語をつなぐ橋が現れたことだったと、私は理解した。


その友人が、私にクリーンランゲージの存在を教えた人だ。

そして、私がクリーンランゲージについて思考するのをずっと手伝ってきてくれた人だ。

そして、私から「橋」の話を聞いたその友人は言った。


「もし、その<橋>のランドスケープが豊かに成熟し切ったら、私はその橋のふもとに<寺子屋>を建ててもいいような気がする」


それから友人は、少しだけ「寺子屋」の話をした。

私は自分の中の「橋」のランドスケープに、「寺子屋」をぽこんと置いてみた。


すると、私と友人は気づいた。

「きっと、そこには、いろんなメタファーが登場する」


そして、私は気づいた。

「これは、ジーナが日本に来てくれた時にワークショップでやった<グループメタファー>なのではないか?」と。

そして、私は気づいた。

<橋>のメタファー・ランドスケープには、様々な人のメタファーやランドスケープが加わってくる。


私は友人に言った。

「これは、クリーン・コミュニティのグループメタファーのランドスケープに違いない」

なんだか、ワクワクし始めた。



そして、一夜明けた。


今朝、私は、「橋」のメタファー・ランドスケープに、銅像を建てた。


勝手に建てたから怒られるかもしれない。

まあ、いい。
私は怒られるのに、慣れている(笑)


その銅像は、人の胸像で、真っ直ぐ前を見つめている短髪の女の人の銅像だ。

銅像のプレートには、こう書いてある。

「最初に飛行機に乗った人DASO。寄贈:YUKARI」


さあ、準備はできた。

「橋」のメタファー・ランドスケープを広げよう。
たくさんの人のメタファーやシンボルを、いくらでも、私のランドスケープに混ぜ込もう。
一緒に豊かに発展させよう。

胸がぽかぽかした。


友人は「水瓶座っぽいね」と、私のことを笑った。


すごいね。

たった10分。

ジェームズとペニーがしてくれた、たった10分のセッションが、6年経つと、「グループ・メタファー・ランドスケープを広げよう」というところまで、私を連れてきた。

すごいね。