セルフについての実験:3つの私の働き

ただいま、実験中のシンボリック・モデリングの中でのファシリテーターの質問についての内容をシェアします。


<前置き>

私自身が、ファシリテーターとして、シンボリック・モデリングのセッションをしたとき、明らかに英語でファシリテーションするときと、日本語でファシリテーションするときの、クライアントの反応とその効果が違うという気づきがあったことから、この話はスタートしています。

6年前の話です。
私が最初に目をつけたのは、当時のクリーンな質問の日本語訳の中で翻訳されていなかった一語でした。YOU。

しかし、話はそれだけでは解決しませんでした。
そう簡単ではありませんでした。

それ以降、私は「何が違うのか?」「日本語と英語で、何がそんなに違うのか?」「違いはどこからやってくるのか?」という探究を、ジェームズ・ローリー&ペニー・トンプキンスに手伝ってもらいながら続けてきました。

私がとったのは、2つの方法でした。
ジェームズとのメールのやりとり、それから、彼らのセッションを受けて、その中でメタファーで探究すること。
セッションの中で、「日本語と英語の何が違うのか?」という質問は、何度も登場しました。

そして、今、話はやはりYOUだろうというところに、戻ってきています。


<今回の実験>

英語のファシリテーションの中では、一つのセッションの中で、YOUまたはYOURという単語が、多い時には100回以上登場します。
そして、ファシリテーターが、YOU、YOURにアクセントを置いて、それを強調していることも度々あります。特に、これは、体のパーツを指す時に顕著です。

そして、私は、自分は無意識に「あなたの」という言葉を追加して使用していることに気づきました。

そこから、改めて、「あなた(私)」「あなたの(私の)」という言葉の、シンボリック・モデリングの中での働きをモデリングすることにしました。

そして、私が、振り分けた3つの「私」の働きが以下の図です。



<図1>

それから、「SELF(自己)」についての西洋と東洋(日本)での違いについてまとめた図が以下です。こちらの図は、翻訳していませんが、イラストでイメージは伝わるかと思います。


<図2>

2ヶ月前くらいから、これらや、セッションの記録や事例を集めた資料などを、ジェームズと一緒に検討してきました。そして、ジェームズが日本語のモデリングをはじめてくれました。


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図1の「望んでいる/望むアウトカムの知覚者」としての「私」については、すでに、こちらのブログにも一部、それを確認する質問を書いています。

「Xを望んでいるのは誰ですか?」
「Xしたいのは、誰ですか?」

これらの質問は、「私」という言葉を、セッションの早い段階でファシリテーターが手に入れるための質問でもあります。
なお、質問自体はクリーンな質問として扱えるという確認は取れています。

実際に使ってみたところ、あら、まあ、びっくり!ということが時々、おきています。
一つだけ例を下に挙げます。個人情報とその人のランドスケープに触りたくないため、実際のセッションとは少し、言葉を変えています。
ファシリテーターは私です。

ファシリテーターそして、あなたは何が起きればいいのでしょう

クライアント:仕事で結果を出して、評価してもらいたいんです。

ファシリテーターそして、仕事で結果を出して評価してもらいたいのは、
(私は、〜ですか、〜ますか、は質問から省略して使用することが多いです)

クライアント:ん〜、結果を出して欲しいのは、そうですねえ、
上司で、評価も、まあ、私はどっちでもいいんですけど。それよりは、週に2回、ちゃんと休める方が大事なので


「仕事で結果を出して、評価してもらいたい」という発言には、なんら問題が含まれていません。これは、もう、メタファー・ランドスケープが発展させられる状態の発言です。

これについては、本日の本題ではありませんので、また改めて書きたいと思いますが、このやりとりを通して、時に現れる「望んでいる/望むアウトカム」を発展させたはずなのに、「ぼんやりしているメタファー・ランドスケープ」の理由の一つが、私には理解できたような気がしました。

望んでいる/望むアウトカムの定義は、「クライアントが望んでいる/クライアントが望む」アウトカムです。


まあ、どのような答えが返ってきたとしても、「〜誰ですか?」という質問をすると、かなりの確率で、「私」という単語は手に入るということは、ここまで試してきてわかりました。
それができていれば、図1の「セルフ/知覚者として」の「私」の質問が使用可能です。


それで、私は、実験を、次の段階に進めようと思いました。


<図3>

「セルフ/知覚者としての」私を質問で刺激することで、何か違いは生まれるか、生まれないか?という実験です。

私自身は、これを長い間、無意識にやっていました。
英語でのセッションが頭に残っていたのだと思います。

すでに、個人的には、練習ではなく、有償無償にかかわらず、セッションを他者に提供している方にはお願いを始めていて、概ね、大丈夫そうだという感触はあります。

そして、これを、本日、オープンにシェアしようと決めたのには、理由があります。


このやりとりの中で、ジェームズが、日本語をモデリングしようとしてくれていますが、素晴らしいタイミングで、現在、日本向けのワークショップがオンラインで開かれています。

その中で、デモセッションがあり、そこには、「台本」がありました。
パターンを的確に理解しイメージしてもらうためのデモのため、そのパターンにそったセッションの台本です。
デモセッションのファシリテーターは、ジェームズかペニーのどちらか一人です。

そして、私自身は、その中の一つのクライアント役をやりました。
私は、ここまでの話の流れがあったので、おそらく自分のセッションは、ペニーがファシリテーターをやり、ジェームズは見ていてモデリングするのではないかと勝手に推測を立てました。

オーガナイザーからは、できるだけリアルな感じが欲しいので、台本は自分が答えやすいように変えていいというガイダンスがありました。

そこで、私は、自分がクライアントの台本から、話の筋が変わらず、彼らが本筋と関係ない質問をしなくていい範囲のできる限りの「私」を削除しました
どこまで抜いて、どこまで抜かないかは最終的には、ギリギリまで、ワークショップのオーガナイザーさんと調整をしました。それはワークショップ開始1時間前のことで、まあ、スリリングなことでしたが、面白かったです。
さらに、ワークショップ開始30分前に、オーガナイザーさんは、まだ、「なぜ、全ての私を抜かないか」意味が理解できないジェームズたちを説得してくれていました。
本当に心から感謝します。

私が抜けるだけ「私」を台本から抜いた理由、それは、「その時、自分に何が起きるのか?」「いつもの彼らのセッションを受けるときとそこに違いはあるか?」を確認したかったからです。

ファシリテーターが同じ方が違いが比べやすく、彼らが「日本語に翻訳される前提で」セッションをすることなど、まあ、ほぼない機会です。
そして、通訳の人が、試してみようとしていることの意図を理解してくれている状況は、もう、私にとっては、奇跡のようなタイミングでした。

そして、受けたセッションで。
うまくできたことに、私がクライアントをするセッションでは、自分の体に意識を向ける場面があったのです。
私の体感覚には明らかな違いがありました。
いつもより感覚を探すのが難しかったのです。

(ロールプレイでも体感覚が生まれることは、以前に体験していたので、それがロールプレイかどうかは、私に関しては関係ありません)


これが、本日、シェアしている理由です。

できるだけ、多くのファシリテーターの方に試して頂ければと思います。
または、交換セッションなどで、自分がクライアントの時に、どのように体感覚に違いが生まれるかを味わって頂ければと思います。

本日、ブログの中にある図のPDFバージョンは、以下で配布しています。
クリーン実験室


最終的には、英語でも、この実験の内容をまとめて報告しますが、テストにご参加いただき、フィードバックを提供していただけた方のお名前は、実験したファシリテーターとして、その資料にお名前を明記します。

もし、何か、新しい発見や、気づいたことなどをシェアしていただける方がおられたら、メールで教えていただけると幸いです。


またもし、詳しい話が聞きたいという方がおられれば、zoomでご説明します。
ぜひ、クリーン実験室のコンタクトより、ご一報ください。