「ひとりは寂しい、だから、結婚したい。でも、休みの日は、ひとりでしたいことをしたい」
「ひとりは寂しい、だから、結婚したい。でも、休みの日は、ひとりでしたいことをしたい」
これは、最近、実際にインターネット上で読んだインタビューの中で見たとある有名人の発言から、個人が特定できる部分の表現を変えたものです。
発言主は、私と同世代です。
この手の話は、セッションでも、わんさか登場します。
結婚がテーマとも限らず、わんさか。
私個人の人生の中でも、この仕組みは、たまに発動しています。
今日は、なんだかこの話をしてみよう。
というわけで、もう一度、文章をながめてみます。
この人をサポートする役割に、自分があたっていると推定して。
私の場合は、仕事です。
今度は、内容ではなく、言葉の種類を考えながら。
この人は、何の話をしているのか?
(サポートする必要がないプライベートで、同世代の友人や身内が、この発言をしたら、私は、「自分の好きにすれば〜」と言って、話題を変えてしまうと思います。私自身の価値観です)
というわけで、この場合、私の立ち位置の設定は、「自分がこの人にサポートを依頼された側」です。
さて、では、今度は、サポートを前提として、自分が何と返すかを考えながら、もう一度、眺めてみます。
ありとあらゆる技法には、大前提があります。
サポートを前提として、です。
技法による違いは、「何をどのように」サポートするかというところで、それぞれに優劣はなかろうと思います。
今は、クリーンランゲージ&シンボリック・モデリングを使ってみます。
私のお気に入りのこれは、その人の望み(アウトカム)やリソース(好きなもの)に、主に焦点をあてる技法です。
望む世界、好きなものがたくさんある世界、そういう世界を発展させよう、内側にも現実にも作っていこうという技法。
「ひとりは寂しい、だから、結婚したい。でも、休みの日は、ひとりでしたいことをしたい」
シンボリック・モデリングで話を聞く時、内容は聞いていません。
話の種類を聞いています。
この人の話は、以下の要素を含んでいます。登場順に並べます。
問題
(困っていること。嫌なこと)
|
レメディ
(問題回避策/減らす望み)
同時に
アウトカム
(自分が価値を認めているか好きなもの/ことで、まだ持っていないもの)
|
リソース
(自分が価値を認めているか好きなもの/ことで、すでに持っているもの)
同時に
アウトカム
(自分が価値を認めているか好きなもの/ことで、まだ持っていないもの)
この人の話には、三つの要素が含まれています。
問題は、「ひとりは寂しい」
レメディは「(寂しい、だから)結婚したい」
これは、寂しさを減らすための望みなので、アウトカムとは言い切れない。
ややこしいのは、おそらくは、「結婚したい」はアウトカムでもあるだろうということです。
この場合。
最後の文章。
「休みの日は、ひとりでしたいことをしたい」
この一文には、なんら問題が含まれておらず、その人が欲しい未来について語っているともとれます。
けれどおそらくは、文脈から、この人は、「ひとりでしたいことをする休みの日」を、すでに持っています。
なので、この文章は、リソースです。
つまり、この人はまだ、自分の本当の望みについては語っていないと判断します。
好きなもの(リソース)の話はしています。
ただ、同時に、未来の休みの日について話しているのでしょうから、アウトカムでもあります。
この時点で、ああ、リソースとアウトカムが、同時に、問題であり、レメディなんだなという推測はたちます。
シンプルそうな話ではありますが、どうも、何か複雑な仕組みが奥に隠れていそうな気配がいたします。
どこから、私が、それを判断しているかというと。
「ひとりは寂しい」
「休みの日はひとりでしたいことをしたい」
ひとり、は、寂しさを生む問題であり、同時に、休みの日にしたいことをするためのリソースです。
同時に、未来の休みの日のアウトカムです。
好きなことが、同時に問題。
欲しいもの「結婚」を手に入れると、好きなもの「ひとりでしたいことをする休日」がなくなる可能性があり、それはこの人の望みではありません。
(おばちゃんの自分としては、知らんがな、好きにしたらいいやないかと言いそうになりますが、それは、私の価値観です)
一般的には、この類、意識だけで変えるのが難しいです。
好きなこと、価値を感じているもの、自分には必要だと信じているもの、慣れたやり方(パターンともいいますね)を、変えるのは、なかなかに大変です。
体の好みが関わっている場合があります。
自分の中に仕組み(システムともいう)や体系/ひな型(モデルともいう)が出来上がっているものは、なおさらです。
さてではしかし。
いくつかやり方はあるなと推測できますが、私は、どこから話をはじめようかな〜。
そうね〜。
この時点で、いくつか、私には、疑問があります。
2つの「ひとり」は同じものなのか、違うのか?
「休日は、ひとりでしたいことをしたい」ならば、ひとりが寂しいのはいつなのか?
これを踏まえて、頭の中に、仮説として置いておき、セオリーどおりにいくならば、最初に目をつけるのは、リソースとアウトカムを含むこの文章から、おそらくは、私は始めます。
(他にも質問のチョイスはあります)
「休みの日は、ひとりで好きなことをしたい」
私の質問は。
いつもは、ブログ用に日常使いできる省略系で質問を書いていますが、本日は、仕事で使っているフルパッケージの質問で書きます。
ゆ〜っくり、やさし〜い口調で問いかけることでしょう。
「そして、ひとりは寂しい、だから、結婚したい。でも、休みの日は、ひとりでしたいことをしたい。
そして、あなたは結婚したい、でも、休みの日はひとりでしたいことをしたいとき、
休みの日はしたいことをしたいそのひとりは、どこにいますか?」
望みを抱える主体の場所の確認からスタートしたいと思います。
それから、そのひとり、のニーズを確認します。
そのあとで、「結婚したい寂しいひとり」の場所を確認すると思います。
おそらくは、経験的には、この「ひとり」たちは、同じ場所にはいない可能性が高そうだから。
二つの「ひとり」(願い)がせめぎ合う、バインドという構造がそこにあるのではないかと推測します。
場所を確認して、シンボルを作って、それから、シンボルたちに話をさせます。
あくまで、推測。
物語は、この人が、質問に答えたその瞬間から始まります。
まだ、本当の願いは登場していない、ということだけが、この時点で、私にわかることです。
ないので、はっきりしたアウトカムが、まだ。
この人は何が欲しいのかが、まだ、わからない。
(個人的には、好きにしたらいいがなです。
望みがわからんままいくのも、また人生。
叶わない望みを抱えるのが好きな人もいて、それもまた好み。好みは自由。だから、好きにしたらいいがな。けれどこれは、私の価値観)
以下はおまけ。
シンボリック・モデリングを学習中の方むけ。
私は、インタビュー記事、インタビュー動画を使って、質問を考える練習をしています。
全くつながりがない人のtwitterやInstagramも使います。
個人的な繋がりがある人のものは、普通に、私個人として見ます。
繋がりがない人のそれらを、PROに分類しながら、読んだり見たりしています。
プライベートの友人や知り合いの話より、心理的に距離があるので俯瞰しやすいのがひとつです。
もう一つは、「自分自身の反応(感情)」が把握しやすいので、自分が陥りやすい思考(今日の話だと私の結婚観。好きにすれば?)、質問パターンがつかみやすいからです。
また、相手の思考パターンも見分けやすいです。(落ちついているし、見てるだけだから、失敗しないから)
望みを語るときの、日本人独特の話し方にも気付けます。
望みをストレートに最初からはっきり言う人は、ほとんどいないというのが、私個人が持つ印象です。
語尾に注意してみると、わかりやすいです。特徴あります。
これは、わざわざお金を払って、相談にやってこられていても同じで「汲み取ってもらえるだろう」という文化の影響かなと推測しています。
「いかにアウトカムを、アウトカムとして言語化させられるか」は、日本語におけるシンボリック・モデリングの効果のひとつのポイントになるのではないかと、推測しています。