あるとき〜。ないとき〜。|クリーンランゲージ(2)
551は、かの有名な大阪みやげでございます。
本日は子供の頃から見続けている551の肉まんCM風に、クリーンランゲージの効果を語ります。
私は、551の甘酢団子が好きでございます。
このCMが全国で流れているかどうかは、知りませんが、先程このCMがYouTubeにはあることを確認したので、ご存知ない方は、そちらを見てください。
「551 CM」で検索すれば登場します。
では、私が実際に聞いたクリーンランゲージの感想の中から。
対個人相手の対人支援を仕事にしている人。そして、結果を出さねば仕事はなくなる人々編。
最初のお一人。
まずは、アメリカで会ったある心理カウンセラーさん。この方は、公的な仕事をされていました。
クリーンランゲージがあるとき〜。
「こんなに楽ちんに相手の話したいことを話させることができるなんて」
クリーンランゲージがないとき〜。
「もう毎回、相手の心の深いプールに飛び込んで、ずぶ濡れになって、くたくたになる。それでも結局、どうにも何もならないことも多い」
.....
<私の解釈による解説>
クリーンランゲージは、相手の心理的空間に、質問してサポートする側の人の心は入り込みません。
心理的空間の中に、入っていくのは、クリーンな質問だけです。
私が、質問の訳にこだわり続けている理由は、自分がクリーンランゲージを使ったセッション中に発することで、唯一、クライアントのために、クライアントの世界に入れるものが、クリーンな質問しかないからです。
おそらくは、クリーンランゲージ以外の技法でも、同じようなことは可能です。
ただものすごいスキルが必要だと思います。
私がクリーンランゲージがすごいと思うのは、そこを、誰でも使えるようにしてしまったことです。
続きまして。
あるセラピストさん。
クリーンランゲージがあるとき〜。
「クライアントがぐだぐだ同じことを言わなくなって、前に進みはじめた」
クリーンランゲージがないとき〜。
「クライアントは、いったんは納得して帰る。でも、数ヶ月経つと、また同じ状態になって戻ってくる。そして、同じ話を延々と繰り返すことになる」
......
<私の解釈による解説>
これは割とよく耳にする感想です。
先にメタファーという用語について説明します。
メタファーはいわゆる比喩です。
クリーンランゲージでメタファーとして扱うものは、言語学的にメタファーとして扱われているものより幅広いです。直喩、暗喩、換喩、提喩、擬人法も、メタファーに含みます。
クリーンランゲージで「メタファー」という時、その比喩は文学的な比喩とは異なります。
そのメタファーはほとんど意思や感情を持つ生き物です。
現実では無生物の机や車、それから言葉を発しない空や星、そんなものまでメタファーの世界の中では、命を持っています。
長くなるので、メタファーについては、別にまた説明します。
ともあれ、クリーンランゲージで扱うメタファーは、すべて、クライアントが生み出すメタファーです。
そして、クリーンランゲージでは、本当に今、まさに、それがそこにあるように、クライアントが口にするメタファーを扱います。
そして、クリーンな質問は、クライアントが、メタファーの世界をその人の体と心でバーチャル体験できるように作られています。
クリーンランゲージの質問を使う人たちは、「どこにあるの?」「どのあたりにあるの?」と、メタファーの場所をほとんど必ず確認します。
そうすることで、メタファーの世界(心理的な空間)をクライアントが作っていくことをサポートしています。
ほら、新しい家に引っ越してきたら、まずは、どこに何をおくかを決めるでしょう?
あれとおんなじ感じです。
メタファーの場所を確認していくことで、空間を作り上げていきます。
ここでもポイントがあります。
クリーンランゲージでは、質問者側が、メタファーの位置を決めることはありません。
質問者側は、その空間のデザイナーではありません。
クライアントの世界の空間デザイナーは、クライアント自身です。
ただし、その空間デザイナーは、最初、そこがどんな空間かを知りません。
その空間に対してイメージを持っていません。
それで、これはシンボリック・モデリングですが、シンボリック・モデリングでは、質問者は、その世界がデザインされていくのを手伝い、その世界にものが置かれていくのを手伝い、ものが動かされるのを手伝います。
質問者側は、クライアントの世界をデザインしません、ものを置きません、ものを動かしません。
ただ、クライアントの世界に、質問を投げ込むだけです。
メタファーの空間で起きる全てのことは、クライアント自身がやります。
そして、クライアントが今度は、自分がデザインしたその空間の中で生きるのを、質問を使ってお手伝いします。
人が現実を生きるその時、色々な出来事が起きるように、その空間の中でも色々な出来事が起きます。
その中で、クライアントが望んだように生きられるように、質問を使ってサポートします。
使う質問が決められているのは、他人の心理的な空間に立ち入らないためです。
実際は、「多分、そのメタファーの位置がおかしなことになってる原因だな」、と推測することはあります。
クライアントのメタファーの世界に調和があり、筋が通っているかは、観察しています。
新しい家に引っ越した人が、玄関のど真ん中に洗濯機をドン!とおいたら、そりゃ変でしょう?
そして、「なんでかわからないけど家に入れないんだよな」とその人が言っていたら、それが理由だろうという推測は立ちますよね?
わかりやすく言えば、そういうのは観察しています。
たとえば。
恐怖でたまらないクライアントが「家のリビングの真ん中に、ライオンがいて、唸っている」と言いました。
もしも私がこれを聞いたら、「そりゃ、家のリビングの真ん中にライオンがいるから恐怖なんじゃない?」とは普通に思います。質問者側、この場合、私は人間です。話を聞けば感想は浮かびます。
しかし、クリーンランゲージを使う人には、【セッション中に、自分の意見や感想は言わない】というルールがございます。
それでも、それを提案したくなる気に、多分、誰でもなりますね、多分ね。
なんせ、対人支援者なんです。
支援するのが好きか、そこに才能があるから仕事にしているみなさまです。
手伝いたくなりますね。
おそらく親切心で。
しかし、クリーンランゲージを使う人たちは、そこで、「では、ライオンをどこか別の場所に移してみるのはどうでしょう?」とは言いません。
「ライオンがどこかに行けば、きっと恐怖がおさまるだろう」というのは、こちらの考えであって、クライアントの考えではありません。
(この提案が、数ヶ月後に、クライアントが元の状態になって帰ってくる原因の一つだったと、今は、私自身は気がついています)
クリーンランゲージでは、もしも、これを口に出したら、これは、クライアントの世界への介入になります。
介入は悪いことではありませんが、これは、クリーンランゲージではありません。
どうしてですか?
これは簡単よ。
「どこか別の場所に移してみる」というのは、クライアントの言葉ではないからです。
セッション後に、別枠で、クリーンなセッションじゃない時に、その話をしてみるのはあるかもしれません。
しかし、クリーンランゲージには「質問の中に使うのは、クライアントが言った言葉だけ」というルールがあります。(稀に、例外はあります)
ついうっかり介入して手助けしたくなってしまう、対人支援者マインドが入り込みにくいように、クリーンな質問はできています。
おそらく、クリーンな質問を使う人が、「ライオンがどこかに行けば、きっと恐怖がおさまるだろう」ともしも思ったら、その人は、「そのライオンは、何が起きればいいんでしょう?」と尋ねて確認してみるんじゃないかと思います。
これは、クリーンな質問です。
質問者側は、質問するだけ。
するとどうでしょう。
クライアントは言いました。
「ライオンは唸って、リビングの窓の外にいる恐怖が入ってこないようにしてくれているんです。でも、私には、ライオンも恐怖なんです。でも、ライオンがいてくれないと、窓の外にいる恐怖が入ってきちゃうから」
もしも、ライオンをリビングから追い出していたら、窓の外にある恐怖が入ってきちゃったわけですね。
えらいこっちゃになるところでした。
そして、恐怖はライオンだけじゃなかったんですね。
窓の外にもなんかある!
恐怖で恐怖を防いでる構図がそこに。
こういう話は、もういくらでもあります。
手助けしたくなるけど、質問以外は手も口も出さない。
先回りしない。
無理に変化させようとしない。
とりあえず、尋ねてみよう、質問を。
だって、わからないからね。
クリーンランゲージがある時はそんな感じ。
そして、どうしてメタファーで話をするかというと、例えば、もしもこの例のクライアントさんと、「恐怖」という単語で話をしていたら、おそらくは、恐怖が2つあることが見つけられなかっただろうからです。
ライオンと窓の外にある(まだ姿が見えない)で例えられる恐怖を、普通の言葉で説明するのは、多分、むっちゃ難しいと思います。
本人が言葉で説明できないものを、他人が推測して、その人がどうにかするのを手伝うのはさらに難しい。
あと2人ほど、ご登場いただこうと思いますが、今日はここまで。
メールをくれた方、話が延々と続くことになっちゃったかも(笑)
最後に本日気づいた、私の「クリーンランゲージがあるとき〜」
その魅力と面白さ、楽しさ、どんなに人生の役に立つか、どんなに対人支援者の人が楽になるか、それらを延々と話し続けられる。