日本語のためのクリーンランゲージ

 

これは書こうかどうしようか、かなり迷いましたが、私の行動の根っこと関係していて、また、私がセッションをした25人にも、この単語が関係していたと推測されるため書いておこうと思います。


先に繰り返しますが、私は、誰のことも批判しません。

私が書くのは、解釈の違いについて、です。


私が求めている世界は、さらに洗練された日本語のクリーンな質問がある世界です。

いろいろな考え方、いろいろなモデルがあっていいと思います。

むしろ、あるべきだと思います。


同じ言葉は、人によって受け取り方が異なります。

言葉の意味は人によって違うことは、クリーンランゲージを習った方には、常識なことでしょう。


読み手のみなさんが、クリーンランゲージを習った人であると信頼して、書いてみます。


私が、「日本語のための(Japanese language)」クリーンランゲージは探していて、「日本人のための(Japanese people)」クリーンランゲージを探していない理由です。


クリーンランゲージを説明する文章の中にも、どうしてもそれしか無理だという場合を除いて、日本人(Japanese people)という単語を使うのを最小限に抑える努力はしています。


この考えは、私がまだ日本でトレーニングを受けていた頃に、トレーナーのお一人にはお伝えしてあります。

私の中に疑問がわいたからです。


「日本人(Japanese people)という言葉は、フレームではありませんか?日本人(Japanese people)という言葉には、『その日本人(Japanese people)は、どんな日本人なんでしょう?』という質問が成立します。

そのフレームは、日本人ならこうあれという、押し付けにはなりませんか?」


言葉には、万人共通の要素がたくさんあります。

日本語(Japanese language)もそうです。


しかし、日本人(Japanese people)は、てんでバラバラで、パスポートが同じものというくらいしか、共通項はない感じがしたのです。


私の周りの日本人を見るだけでも、みな、発想も思考回路も異なります。


東洋思想や仏教の影響は多かれ少なかれある気はしますが、育った環境により異なります。


もしも、思想が同じ人たちが集まっている集団だとしたら、比較的、刷り込まれた思考体系を使うことはあるかもしれません。

けれど、それでも、違いはあるでしょう。


私の小学一年生の頃の同じクラスのヨシコちゃんは、ベネゼエラ生まれで、そのあと、南米で育ち、私とヨシコちゃんは、メキシコで出会いました。


ヨシコちゃんは、お父さんの仕事の関係で、このあとも、また、どこか南米の国に引っ越すことが決まっていました。

ヨシコちゃんは、日本人でしたが、生まれてから一度も、日本の土を踏んだことはありませんでした。


さて、大人になったヨシコちゃんと私は、同じものの考え方、思考体系を持つでしょうか?


私のためのクリーンランゲージと、ヨシコちゃんのためのクリーンランゲージは同じでしょうか。


私が日本人(Japanese people)というときの日本人と、あなたが日本人というときの日本人は同じでしょうか?


例えば、私には、ニュース記事にコメントをいれている人々は、自分とは全く違う考えを持っていることが多いように感じられます。


日本人(Japanese people)という単語は、そこでは頻繁に登場します。

しかし、私は、「私は、その日本人ではない。ひとくくりにしないでくれ。自分の意見だとはっきり書いてくれ」(外国語に翻訳されちゃうから、迷惑)と、よく感じます。



日本語(Japanese language)は、ある程度、ひとくくりにできます。

見た目でもわかります。


例えば。


You can see it by looking at it.


Du kan se det på den måde, du ser på det.


Vidíte to na tom, ako sa naň pozeráte.


你可以从你看它的方式中看到。



以上が日本語でないのは、見ればわかります。


しかし、あなたには、大坂なおみ選手とアメリカの真ん中で会ったら、彼女が日本人だとわかりますか?

八村累選手はどうでしょう?


私自身ですが、私はアメリカ、イギリス、フランスで、「Chinese?」と尋ねられました。

中国系カナダ人の人から、中国のある地方には、私によく似た面立ちの人がたくさんいると教えてもらいました。

その人の親戚にも、私そっくりの子がいるのだそうです。

(それで、私は、外国に行くと、中国系の人を探します。助けが必要なとき、親切にしてもらえるからです)


私のある友人は、先祖代々、生粋の日本人であるにも関わらず、空港で、しかも国内線で、係員に英語で問いかけられ、わからないという顔をしていたら、今度は韓国語で問いかけられ、「日本語わかります!」とブチギレた笑い話を持っています。

たしかに、一緒に外国に行くと、彼女は韓国人に見られていました。


どれもアジアなんで、まあ似たようなもんといえばそうですが。


日本人はもはや、見た目ですら、違いがあります。


極端な話、結婚前、私の家の隣には、日本人が住んでいましたが、彼は、生まれがアラブ系の国で、日本に帰化していたため、アラブ系民族バリバリの見た目でした。

名前はカタカナ。

割と親しくしていたのですが、考え方は違い、よく元気よく言い争いになりました。

(こんなに自己主張する日本人にはあったことがない、とはいわれました。知らん!)



私の中にも、日本人(Japanese people)はこんな感じというモデルはあります。


ただ、クリーンランゲージを使う時、日本語(Japanese language)を話すけれど、いわゆる日本人モデルとは明らかに異なる日本人を排除したくないという思いがあります。


また、以前にも書きましたが、私のクライアントの半分は、日本語を話しますが、国籍は日本ではありません。

彼らは日本語で思考しますが、思考体系には、2つのバックグラウンドを持ちます。


私は、日本人という単語で彼らを排除できません。



だから、私は、「日本語(Japanese language))のためのクリーンランゲージ」を追求します。


ヨシコちゃんにも機能するクリーンランゲージを探します。


日本語を使い、日本語で思考する、または、日本語で表現する人のためのクリーンランゲージを探します。


それが、英語のクリーンランゲージの世界が、私に教えてくれたことだからです。

7歳の英語力の日本人を、英語のクリーンランゲージは排除しなかった。


私は、そこを重視します。