AE between X and Y?:AとBの間について、他に何かありますか?

シンボリック・モデリングのセッションで、サイコアクティブな状態を維持している要素は何でしょうか?


あなたは、何だと思いますか?

考えたことがない方は、ぜひ、考えてみてください。




さて。


私が知る限り、シンボリック・モデリングが使えるようになるために、欠かせないプラクティス(練習)のひとつは、「自分の頭で考えること」です。


言葉を変えるなら、「推論する(to infer)」です。


シンボリック・モデリングのセッションは、実に頭を使います。


特に、日本語でシンボリック・モデリングを使う時には、英語とは違う諸条件が存在します。


それは、日本語を使うあなたが、日本語で話すクライアントを目の前に、その目の前のクライアントに真摯に向き合い、試してみるしかないのではないかと思います。


自由に。


さて、本日の話は、関係性の質問の話です。



私は、日本語でのセッションで、シンボル同士の関係性の質問をするとき、よく作用する(work well)質問があることに気がつきました。

これは、翻訳の話ではないと思いました。


なぜ、私がこれを試したかというと、ひとつは、既存の関係性の質問では、クライアントの反応がいまいちよくないことが、多々発生したからです。


そして、もう一つは、関係性の質問は、放置するにはあまりに重要すぎる質問だったからです。


なぜならば、シンボリック・モデリングにおいて、シンボル同士、メタファー同士の関係性は、非常に重要なファクターだからです。


関係性は、昨日書いたサイコアクティブな状態の維持にも関係します。


私が、ANDWHENという小さな単語の訳にこだわる理由の一つも、日本語でのシンボル同士、メタファー同士、メタファーランドスケープ同士の関係性にその単語の訳が影響していると考えているからでもあります。



そして、実際の私の体験をシェアします。


その1


私「そして、Xのとき、Yには何が起きますか?」

“And when X, what happens to Y?”


クライアント「何にも起きない」



その2

あまり使わない質問ですが。


私「そして、そのXYに、何か関係はありますか?」

“And is there relationship between X and Y?”


クライアント「XYになんにも関係はない」


この質問をあまり使わない理由は、同じメタファー・ランドスケープに登場するシンボルやメタファーに関係がないことの方が珍しいからです。



その12は、日本語でセッションをすると頻発しました。

ちなみに、私のクライアントのほとんどには、クリーンランゲージの知識はありません。


クリーンランゲージの知識がある人に質問すると、答えはちゃんと返ってきます。


何を問いかけられているか質問の意図を理解している人にではなく、質問の意図を理解しない人が質問の意図を理解できるかどうかが重要だと、私は考えています。


でなければ、クリーンランゲージは、クリーンランゲージを学んだ人の間でのみ機能することになります。

もしもクリーンランゲージが宗教ならば、それで差し支えありませんが、クリーンランゲージは技法です。



さて、私は、自分に起きたことを、同じようにセッションやコーチングを一般のクライアントに提供している人数人にシェアしました。


「これはどういうこと?」と。


「わかる〜!」という反応が返ってきました。

何も無い、無い、という答えは、私のところだけで発生していたのではありませんでした。


これは何か改良の余地がある、と、私は考えました。


「シンボル同士に関係がない、何も起きないって何?」

それは、確かに、関係がなくてもいいのです。

クリーンな質問は、「無い」という答えが可能な質問です。

ただし、その答えが頻繁に発生するのはやはり妙です。



やがて、私は、仮説を立てました。


もしかしたら、関係性という概念そのものが、英語と日本語では違うのかもしれないという仮説です。


そして、やがて、私は、ある質問を思い出したのです。

(これは以前に書いたかもしれません)


あるクライアントさんとの間のセッションです。やりとりの細かいところは省略します。


ある程度、セッションをすすめて、そこに蝶々というシンボルが登場しました。


クライアント「蝶々がいます」


私「そして、蝶々がいる。すると、その草原には何が起きるの?」


クライアント「草原はお花畑になりました」


私「そして、草原がお花畑になると、その蝶々には何が起きるの?」


クライアント「蝶々には何にも起きません」


この時、クライアントの視線は、蝶々とお花畑の間を動いていました。

それで、私は、「蝶々には何か起きている」と推測しました。


私「そして、その蝶々とそのお花畑の間について、他に何かありますか?」


クライアント「ここ(蝶々とお花畑の間)に、透明な壁があるんです。蝶々は、お花畑に行きたいんだけど、壁があるから動けないんです」


......


XYの間について、他に何かありますか?


Is there anything else between X and Y


この質問は、「発展させる質問(Developing Questions)」にカテゴリー分けされています。

発展させる質問は、実にいろいろな使い方ができるバリエーションが豊富な質問です。

私が使ったのも、そのバリエーションの一つです。


私は、日本語では、この質問を「発展させる質問のバリエーション」として扱うだけではなく、初心者が覚える最初の質問のひとつ、「関係性の質問(Relationship)」の基本にいれていいのではないかと、考えています。


......


関係性とは様々で、XYに影響を与えるのも関係性なら、XYの間にあるものも関係性です。


.....


ここで私は、大学の卒業レポートに書いた「英語と日本語における沈黙の持つ意味の違い」を思い出しました。


沈黙は、「言葉が何もない」状態です。


その意味が、英語と日本語では違うという内容が、私のレポートの内容でした。


日本語を話す人たちは、英語を話す人たちより、口にしないことがたくさんある、沈黙の意味のバリエーションが広いと、私はそのレポートの中では結論づけました。


そして、それを思い出した私は、「日本語のクリーンな質問は、英語よりも、よりクライアントの言語化をエンカレッジ(encourage)、ファシリテート(facilitate)する要素が必要かもしれない」と考えました。


私が意味するものは、誘導ではありません。

私が書いているのは、「よりクライアントが、起きていることを言語化しやすい質問」という意味です。


......


そのあと、私は、「Xのとき、Yに何が起きるか?」という質問に、クライアントが「無い」と答えた場合、「そうすると、XYの間については、他に何かありますか?」と続けて尋ねてみるという実験をしました。


すると、そこにはいつも、何かがありました。


......


それで私は、日本人は、関係性をより空間的なものとして知覚しているのかもしれないと考えるようになりました。



私のこの考えを最終的に確信させてくれたのは、やはり、先週末の土曜日の夜、クリーンファシリテーター仲間たちとの勉強会でのある人の発言でした。


「これが知りたかった!」と、魔法使いの知識を聞いた彼女は言いました。


私たちが今、学習しているのは、空間についてです。



私が、この数日書いている内容は、全て彼女、そして、もうひとり、勉強会ではほとんど何も発言しない仲間の影響です。


そして、その勉強会の仲間全て、これまで共に学んできたクリーンファシリテーター仲間のみなさん、全ての人です。


私を動かしたのは、クリーンファシリテーターたちのコミュニティという関係性でした。


そして、そこに未来に入ってくる新しい仲間たちのことを、私は考えたのです。


これもまた空間です。


そして、目には見えないこの空間、これが、関係性です。



もしも、これがメタファー・ランドスケープならば、そこに生まれる相互作用こそが、シンボリック・モデリングの醍醐味ではないかと、私は考えています。


.....


話を元に戻します。


シンボルとシンボルの関係は、元からあるものだけではありません。

その関係性に注意を向けてみて初めて、関係が生まれはじめたり、関係があることがわかったり、関係が変わったりすることもあります。


そして、どの場所に注意を向けるかで起きることは変わります。


XYの間の空間に、最初から目を向けてみることで、日本語でのクリーンランゲージに、より豊かさが加わるかもしれません。


もし、関係性がうまくふくらまないなあという方がおられたら、ご自由に試してみてくださいね。


クリーンランゲージには、失敗はありません。大丈夫。


クライアントをよく観察して、目をしっかりクライアントに向けて、ぜひ、やってみてください。


空間ですから、クライアントの目の動きや体の動き、ジェスチャーを見ないとわかりません。


クライアントの言葉全てを拾うのが、クリーンファシリテーターの仕事ではありません。


クライアントのアウトカム、リソース、そしてそこに繋がりそうな言葉、そこにしっかり耳を傾けて、絶対に拾うのは、それらの言葉です。

他は少々聞きもらしても、必要ならば、クライアントがもう一度言います。

必ず言います。


7歳の英語力の人が、それでも、英語でセッションができた理由は、ひたすらそれだけを拾ったからです。


11歳の英語力の人が、それでもアセスメントに通ったのは、ひたすら、それだけを拾ったからです。


(魔法使いには、なぜ、動詞を拾わない?と、突っ込まれたけれども。笑)



私が自信を持って、お伝えできること、それは、あなたの日本語力は、確実に、私の英語力よりは高いということです。


私の英語のセッションより下手くそなファシリテーションはこの世に存在しないと、私は考えています。