昨日はない
昨日はないと思うことにしてみたらどうだろう?
ふと、そう浮かんだ。
私は、新しいことを思いついたり、発想を転換したりするのは上手だが、ルーティンを苦手とする。
同じことが続くこと、同じことを続けることが苦手なのだ。
最近、猫を見ていて、毎日、同じところで生活しているにも関わらず、毎日、目をキラキラさせて、まるではじめての場所みたいに探検するなあ、、、と感じた。
そして、そうか、今しかないんだな、と思った。
続いて、そうか、私も昨日はなかったことにしてしまえば、ルーティンという概念そのものがなくなるな、と気がついた。
昨日も同じことをした、と感じるのは、昨日があるからだ。
私の中に。
日常のルーティンに関しては、他人は関係しないので、個人がどう思うかという個人の認識だけを関与させるだけで構わない。
他人と共有するものについては、時制は必要だが、他人と共有しないものについては、時制は必要ない。はずだ。
毎日、という概念もいらない。
今するかどうかだけでいい。
今日するか、今するか。
明日も続けようとか思わなくていい。
明日も存在しない。
明日については、この時代、ほんとに自分の明日は存在するかどうかわからないし。
今日、今、はある。
目の前に。
ルーティンにしよう、とか、思わなくていい。
続けようとか思わなくていい。
そういうことにしよう。
昨日も明日も存在しない。
さて、この発想は、私の中に根付くだろうか?
試してみよう。