守るべき選択

忘れやすいけれど、何かを選択しても、1秒後には、その選択は過去の選択だ。

特に非常時は、1度決めた選択にこだわる必要はない。
状況は刻一刻と変わり、過去の自分は今を見て選択はしていない。過去の自分は、今を知らない。
だから、今を見て聞いている自分が、今する選択が優先だ。
例えそれが1秒前でも。

こうなると、もう、自分が自分を納得させている時間はなく、もはやその選択は本能的なものだ。

そこまで非常事態になれば、誰でもそうなるかもしれないけれど、日常、ルーティンの中にも、イレギュラーはしばしば起きている。
毎日かもしれない。
全く同じ毎日を繰り返すことは不可能だ。


「いつもと同じ」毎日、はどこにも存在しないけれど、まるでそれは存在しているかのように、思考の中には組み込まれていることが多い。

それが組み込まれている時、選択は「いつもと同じパターン」の選択になりがちで、変化は生まれにくい。

特に、何かを変えたいと思っている時は、変えたいと思っているそれ自体が、すでに少し違う状態なので、「今はすでにいつもと違う」。

だから、いつもと同じ選択をする必要もなければ、また、1度した選択を翻すのをためらう必要もないけれど、時に人は、一度した選択にこだわる。

選択は、何かへの通過地点に発生するイベントであって、選択そのものはゴールにはなり得ないのだけれど、そこには、選択を守るというゴールがまるで存在するかのようだ。

選択を守るというゴールが生まれると、新しい選択は生まれにくくなる。
新しい選択は、守るべき選択を脅かす脅威になるからだ。

そして、思考はしなやかさを失う。
守るべきものを守るために。