人生の受容

父が一年前くらいにポソっと言った。

おまえがやってるようなことは、若い人はやったらいいが、ある程度の年齢が来たら、変わろうとするのはやめて、今ある自分の状態を受け入れて生きていくのがいいかもしれん、とお父さんは思う。


私がなんで?と聞くと、父は言った。

若い時のようになんでも吸収はできないし、変われない自分にいらいらしたり、変わらない自分をつまらなく感じたりしてしまうからや。
脳がな、若い時とは違うんや。
幸せちゃうやろ、それは。
変わりたいのに変わられへん、しんどいでおまえ。
なんで、歳をとって、そんなしんどい思いをせなあかんのや。
気づかんでも、幸せには生きていける。

私は、父は、変わろうと努力したことがあるのだな、、、と意外に思った。
しかし、それはやめて、しゃあない、と受容する方向に舵を切り替えたのだなと。

しかし、また、父は、以前、余命宣告された時に、自分の人生にある悔いは、タチウオ釣りにもう行けないことだけで、他は大満足していると言っていたような人なので、(そして、家族も、ええ、そうでしょうねと納得できるくらい好きに生きてきた人なので)、自分の人生を受容しやすかったろうが、必ずしもそうでもないということは知っている。


人生を受容することは、時に難しい。